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-不思議なるもの人間 ああ、この不思議なるもの人間。 身も心も、つくし、捧げたから、 きっと、あの人と、人は思う。 いちずで、けなげで、愛すべき人よ。 人のこころは、うつろい、ながれゆく。 彼が、いかなる聖人君子であろうとも、 彼を求め、おい求めても、 それは、かげろう、しがなきこと。 強さと弱さはおなじこと。 強さゆえの弱きこと。弱さゆえの強きこと。 そのこと、よくよく刻むべし。 すべてを許すが、良きにあらず。 すべてをさらすが、良きにあらず。 この不思議なるものは人間。 -その先にあるもの 自分は一生懸命にやっているのだから、相手は自分の思いどおりになるはずだ。 という意識の先に、ストカーや、拉致監禁事件があるのだろう。 ひと昔前は、少なくとも昭和の後半時代までは、 自分が他人に対する行為のなかで、 自分が我慢をするとか、自分が耐え努力をするなど、 自分の内なるものを磨いたり鍛えたりすることが ほぼ大多数の人が、当り前のことと思うことや、世間、先輩の教えが確かにあった。 それは、 恥じる行為をしないとか、謙遜とか、 相手を大切に丁寧に思い接する、ということでもあったのだが、 近年は、自分の行為の意味づけとして、 自分を主体として物事を判断行動する、という意識に確実に変わってきているようだ。 例えば、恋愛においては、 好意を寄せる相手女性に、一人で告白することができない。 ふられることは自分にとってマイナスであり、避けたいという意識。 ふられるのなら、マイナスの度合いを少なくする。 だから、合コンや、結婚相手紹介や出会い系のインターネットのサイトに参加するなど。 かつても、憧れの相手に告白することがなかなかできないということは、似たようにあったが、 それは、憧れや思いの相手が主体であり、そこには主体としての憧れの相手が、大きく存在し、 その結果として、相手に告白することができない、ということで大多数があったように思える。 それが、現代とは異なる点であり、 現代は、 その告白行為は、自分にとって、確実な良い結果を予測しての告白となるようである。 つまり、その結果が、自分の予測に反すると、それは、自分には到底受け入れがたく、 以後その精神は、パニック状態もしくは、過剰行為に変化し、ストカーや、拉致監禁事件へとつながるのだろう。 自分が辛くなることは失敗、マイナスとして捉え、 自分は常に傷つきたくない、これだけ努力したのだから自分は悪く無いという意識につながるのかもしれない。 極端な話しをすれば、最近のニュースの殺傷事件などの加害者をみると、 人は殺すが、自分は殺されない、殺されるのはいつも他人、 そこには、いつか突然、自分もその殺される側の人間になるかもしれない、という意識がないのである。 この加害者たちは、脳組織のどこか一部が欠落しているか、未発達ではないかとさえ思えてくる。 であれば、こういう加害者の行為に対する備えを、 それぞれが、常日頃持っておくことが、肝要な時代になったと見るべきなのだろう。 なんの関係もない、落ち度もない、善良な市民が何故被害を受けなければならないのか、 事件の度に、人々は叫ぶ・・・・。聖職者は、この世は不条理、それが人生と説く。 いずれにしても、 人間を含め、生物の生命のリズムの中で、その行為意識が、生命のリズムにそぐわなければ淘汰されていくだろうし、 このような行為意識をもつ人間社会が、未来においては、どう変わっていくのかは、長い時を待つしかないのかもしれない。 誰かがつくりし、この人類の生きるエネルギーを押しとどめる力を、 この人間がつくりし科学力をもって、コントロールするには、あまりに、非力のようである。 漱石が、「日本はひろい、世界はもっとひろい」「でも、あなたの頭のなかは、もっとひろいでしょ」 と書いたのも、そいうことかと、勝手に今思っている。
G.No10
visitor-yume 2005/06/10(金) 16:33:01 |
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