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PATENT..No_20050518190050
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date2005/05/18(水) 19:00:50





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キユーバの米軍グアンタナモ基地の捕虜収容所で、収容者への虐待を調査する調査官が、基地内の便所の便器に、
イスラム教の聖典コーランを流したという記事を、9日の米誌ニューズウイークが記載したことで、
アフガニスタンで発生した抗議デモが、アジアのイスラム社会に飛び火しているという。

米国政府は、ことの調査を約束し、事態の沈静化に躍起。
同基地では、米兵による捕虜への虐待があったこともあり、世界で反米感情が再燃しているという。

このニュースを聞いて、
便器に流されたというその聖典コーランが、
たとえば、キリスト教の聖書や、ヒンズー教の教典、仏教の教典、般若心教・・・など
他宗教の教典であったとして、たとえば、それを「おぞましく屈辱的な行為」として
世界各地で、当該宗教の教徒や政府までが、いっせいに同様の猛烈な抗議やデモを起こすだろうかと思った。

ことは、過激テロ誘発にもつながる事件かもしれないが、
なんともやるせない思いがする。

それが、イスラム教の聖典コーランだから、気をつけろ。
何故?イスラム過激派を助長するかもしれないから?
宗教は、まことに難しい。
宗教とはなにか?
人間がよくあるために、アッラーがキリストが釈迦が、・・・全知全能の主が、この世に創りしもの。
宗教は、実に、この弱きもの人間を救ってくれる。
救ってくれるが、その宗教を利用して、益を得ようとする人間が存在することが実に問題。

私は、人々が、ほどよく、それぞれの宗教を信じることは、健全な行為と思う。
その宗教の教えを、どう説き、どうおこなうかは、その宗教の信徒たちの領域である。
しかしながら、
みずからが信じる宗教を、唯一の神として、他を認めず、
時に、排除するような、いびつな宗教を、それを宗教だとは私は思わない。
幾多の宗教が統合し分裂し変革した史実は、歴史書に数々残されているが、
そもそも、宗教は、なんの為に地上に誕生したのかを私は思う。
現代において、世界の中では、巨大な数の信徒をもつ宗教が、いくつか存在する。
存在はするが、少数民族、アボリジーニやイヌイット、インデアンやアイヌの持つ宗教感に
これら現代の巨大宗教よりも、より優れたものがあるのではと、私は個人的に思っている。

イスラム教信者が、イスラムの教えを厳守するということに、なんら異論は唱えるつもりはないが、
同様にイスラム教信者が、地上には他宗教の信者も存在することを尊重し、
みずからの宗教と同様に、その存在を尊重するべきだと、私は思うが。
また、イスラム教のイスラム聖職者といわれる立場の人間は、そういう風には教えないのだろうかと思う。
また、そのことをどんな風に、イスラム教信者に説いているのかと、聞いてみたい。
ジハード「聖戦」を、あれだけおおきく解釈できる宗教である。
アッラーの教えを、他宗教の尊重と共存ができるようにも解釈してほしいと願うのであるが。
一説では、世界では、イスラム教信者が、増え続けているという。
数が増せば、力が生まれ、力が生まれれば、争いが生まれるというこの弱き人間社会の中で、
イスラム教は、どう対応していくのか、今世紀の人類が乗り越えなければならない、重要なことの一つかもしれない。



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