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-雫 ビデオジャーナリストという肩書きをもって、世界各地におもむき、映像による報道を行うジャーナリストが増えている。 世界の紛争地や問題を抱える地域に自ら入り、ドキメンタリーを、報道機関や独自に提供することが、主眼のようである。 時々、テレビの社会報道番組で契約したと思われるビデオジャーナリストが、現地の報道をしているところを観ることがある。 彼らは、危険な地域に入って、その取材活動を行い、生々しい状況を映像にして、日本に届けてくれる。 彼らには、信念を持って、その活動を行うという自負の念があるようである。 本日、某ラジオ放送に出演したビデオジャーナリストの話しを聞いて、彼の話の中のジャーナリズム感に、少し疑問を感じた。 彼は、ビデオジャーナリスとして、長い間、イラクの追跡取材を行ったという。 その取材で記録した膨大な撮影画像を編集して製作した映画を、近く放映するということを、某ラジオ放送で話していた。 彼の言葉から、取材によって映画を完成したことへの自信と、彼の取材信念が伝わってきた。 確かに、危険な地域に入り、その体をはって取材活動を行うことは、勇気と忍耐が必要と思う。 いくたびか、危険な目や、辛いこともあったに違いない。 常に思う事であるが、 報道、メディア、言い替えて、放送というものは、限られた時間で、その内容を伝えなければならないという制約が常に伴う。 受けて、すなわちその放送を見る側が、そのことをちゃんと認識して見ないと、 刺激的な映像や音声に、一方的な思い込みになってしまうことがあると思うことである。 当然、作り手、製作側、編集側が、そうならないようにすることが、もっとも大事なことなのであるが、 常に、興味をひく報道、感情移入しやすい人間の感覚が、全体としての客観性を乏しくしてしまう状況もあると私は思う。 「戦争で死んでいくのは、クラスター爆弾による破片で、死んでいくのです、それが戦争です」と言い放つ彼の言葉は、 ある面は、正しいが、ある面では一部であると私は思う。 「今、イラクでは、フセイン下よりも自由がないと、みな言っている」と彼は言う。 それは、客観的事実か、クルド人も、フセインより迫害をうけた人も、みなそう思っているのか。 彼の言葉の中に、もっとも、疑問を感じるのは、 報道、メディアのリスクを言わないこと、疑わないこと、問わないことにある。 ビデオジャーナリストも、個々の感情を持つ一人の人間である。 個々のビデオジャーナリストの感情が、映像を撮り、映像を編集する。 米国の某テレビ放送の某有名熟練記者が、イラク戦争に従軍記者として連隊に随行し、戦闘が刻々と変化する状況を報道していく中で、 自らの感情が、兵士の感情に近くなっていることに気がつき、報道の難しさ、リスクを、客観的に視聴者に語るところを見たが、 あれが、おそらく、報道人が、常に問い続けておかなけらばならない事のひとつだと私は思う。 限られた場所で、限られた人たちを、カメラの限られたファインダーで切り取り、映像化し、さらにそれを編集し、 さらにそれを番組の中の限られた時間に凝縮して放送しているのだということを、頭においておく必要があると私は思う。 ものごとを行うには、常に、よい面とリスクが存在することも、伝えることも、大事なことだと私は思う。 今、そのリスクを、一つ補う可能性があるのが、通信、インターネットなのかもしれない。 NHKの解説員は、放送と通信の融合はありえないと、言っていたが、 融合できるかできないかという二元論だけではない、互いが補うという視点でも考えてみることも大事と私は思う。 放送だけでは、視聴者の知ることのできないことがらを、膨大な情報網をもつインターネットが補ってくれるのかもしれない。 |
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