「咲夜、感じたか? 今の」
雪音は言うが早いか玄関を飛び出し走り始める。
咲夜は彼に追いつくように、同じように走りながら口を開いた。
「ええ、感じました。アレは確実にマザーのものです」
「あ、やっぱりそう? あはー、俺わかんなかったー」
へら、とそんなふざけたことを言って、雪音は大通りの角を曲がり、裏道へと入る。
咲夜は、その本気なんだか冗談なんだかわからない言葉に、ちょっと複雑な表情をして、同じように角を曲がった。
そこに、雪音はいなかった。
「………!?」
あたりを見回す。
いない。どこにも。気配すらない。
「………先に行った?」
戸惑ったように咲夜は呟き、彼女はその暗い道を単身走りはじめた。
「……へぇ」
咲夜には聞こえないほどのかすかな呟きが、走り出す彼女の後方でこぼれた。
「この街はすばらしい。私のお腹を満たす食料が沢山あるのですね」
宮古は言いながら、自分に向かって刀を構えている男の顔を覗き込んだ。
続ける。
「貴方もその一人。強者の集まる街なのでしょうか。
私の求める女も、今、この地に来ているのです。名を聞いたことはありませんか。
咲夜――その女は、咲夜というのです」
「生憎。拙者その名に覚えはないでござるよ」
どこにも隙を作らずの臨戦体勢のまま、ファムナスははっきりとそう告げた。
――この場に月見をしに来ていたのは、果たして幸か不幸か。
ファムナスは心中でそう呟く。
この女が何者なのか。
この女の目的はなんなのか。
何故この場にいるのか。
――そんなことはどうでもいい。
ただ、彼にわかるのは、この女が、この街にとって凶になるということだけ。
もっとも――それだけわかれば充分だ。
「――いざ!」
ファムナスの声が闇に響き、それとほぼ同時にリズムをとったような軽い足音が空気を震わせた。
ヒュと一瞬耳障りな音がして、それは確実に宮古の腹を――
「む!?」
空間。なにも、ない、空間。
彼が目指したそこに彼女の姿はなく、切ったものは腹でなく風。
「なに――」
「鬼さんコチラ」
くすくすと風に流される笑い声と共に、唐突に彼女は――彼女の[気配]は、彼の隣に現れ、再び彼の身体を吹っ飛ばす!
「それは――」
吹っ飛ばされる瞬間にファムナスはそんな風に声を出した。
知っている、今の感覚を。
いや、正確には[見たことがある]だ。
そこにあると思ったものがいつのまにかない。
そこにあるものに気がつかない。
全ての気配を絶って、その存在自身を――
どむ!!!
鈍い音が体中に響く。
飛ばされた先で何かにぶつかったらしい。
「いたたたた………」
その声の主は、大して痛くなさそうにそう言った。
「……雪音殿!?」
ファムナスを受け止めるようにして、彼は――雪音はそこにいた。
「いや〜ん、ファムってばッ。俺がいくら男前だからって、そんな抱きついてこなくても。
俺には紗希というこれ以上ないステキな恋人がっ」
「い、いや、失礼した。しかしながら拙者、そのような趣味はござらん」
すばやく体勢を整え、ファムナスは生真面目な顔でそう言った。
いや、あったら俺逃げるって。
そう突っ込もうとした雪音に後方から声がかかる。
「やはり先に行っていたのですね、雪音」
「ああ、咲夜〜。やっぱりマザーみたいだねえ。ほら」
のんきに声を上げながら、雪音は眼前の宮古を指差す。
「……やはり知り合いでござったか」
ファムナスのそんな言葉に雪音は苦笑する。
何故彼がここにいるかは知らないが、本当なら、この場には誰もいてほしくなかった。
本気の自分は、誰にだって見せたくない。
それが、雪音の本音である。
ただ――たった一人の…もしも紗希がそれを懇願したなら、その本音なども吹っ飛ぶのだが。
「なんでファムがここにいるかは知らないけど、なーんか厄介ごとに巻き込んじゃったみたいだね。
っていうか、[やはり]ってナニ?」
「雪音殿と同じことをしたからでござる。隠形。あれは――暗殺じゅ」
「いらっしゃい、雪音」
雪音とファムナスの会話を割って、宮古は朗らかにそんな風に言った。
「ひっさしっぶり〜。
お前マザーなんだって? そんなつまらない肩書きもったって楽しくなかろうに。
大体、マザーともあろうもの、こんな卑怯な手つかうなよ」
マヌケに響く[久しぶり]の挨拶の後、雪音は後半のセリフを、宮古でなく咲夜に告げた。
「!?」
咲夜に一瞬動揺の色が現れる。
雪音は構わず続けた。
「お前宮古だろ。
咲夜のことはもう食らったのか? お前のことだ、食い散らかしてきたんだろうな。
お行儀の悪いお嬢さんだ。
……お前が得意なのは人まねと[増殖]だったな。
ヒトガタに呪をこめて、自分の分身として戦わせる。能力は本人と同じ。
この目の前のニセ宮古は誉めてやる。良く出来てる。しかし――人まねのほうには欠点があった。
咲夜は――コーヒーは嫌いなんだ」
思い出すのは、最初にこの街で逢ったとき。
雪音は、咲夜にコーヒーを出し、そして彼女はなんのためらいもなくそれを――
「……飲んでしまったのですね」
咲夜は、自嘲気味にそう言った。
「おかしい点はまだある。君はあまりにもこの街について知りすぎだ。
お前が通ったあの角から先は、道が入りくんでるんだ。
それをついこの前来たばかりの人間が、あの道をすんなりと迷いもなく行くってのはちょっとおかしい。
この街の人間でさえいまだに迷うことがあるのに」
なんとなく事情がつかめたのか、ファムナスが再度刀を宮古に向かって構える。
雪音はそれと同時に[華月]を召還し、そして眼前の咲夜にそれを向けた。
「覚悟はいいか?」
スタートの合図は、そんな単純なものだった。
1 † 2 † 3 † 4 † 5 † 6 † あとがき