玄関先の気配。
殺気を感じる。
マザーが来たのか……もう?
いや、咲夜の話によれば、宮古はもっと凶悪な気を放っているはず。
この気は、それとは違う気がする。
雪音はそんな風に思考をめぐらし、自らの気配を絶ったまま玄関のドアに手をかけ。
――勢い良く開けた!!
「雪音はんーーーーーーーっ!!!!!!」
それとほぼ同時に飛んでくる怒声。
妙なイントネーション、の、こと、ば……?
目の前の彼女は、漆黒の髪を揺らし、殺気を放ちながら雪音につかみかかった。
「聞いたでっ!
なんや昨日の約束に何で遅れたんかと思ったら、カジノでナンパしよったらしいやんかっ!!
遊びに行こうて言うたんはそっちやのに、何ナンパなんてしてるん!!
もー、ハラたった、怒った、キレた、付き合いきれへん、別れたるっ!!!!!」
「さ………紗希……!?」
がっくんがっくんと頭を揺らされながら、雪音は何とか声を絞り出した。
彼の後ろで咲夜も目を点にしている。
神代紗希。
言ってしまえば、雪音の彼女である。
ヴィアレスの住人らしく、彼女にも特殊技能があり、それは爆発を起こすというもの。
物理法則も魔法理論も、そんなもの知らないといった具合に、とにかく自分の半径1m以内と目の届くところに爆発を起こすことができるのだ。
彼が紗希と出会ったのは、このヴィアレスに来てから。
ナンパはしても特定の彼女を作ろうとしなかった雪音が、何故紗希を自分の特別にしたのか。
その辺はまた別の機会にでも話すことにして。
とにもかくにも、雪音は、ずれるサングラスを何とか抑えながら、いまだ紗希の怒声を一身に受けている。
「ホンマに女好きやっ、ナンパ師や、不純や不純!!
なんでウチばっかこんな思いせなアカンのや、はらたつーーーーーー!!!!!」
「さ、紗希、お、おちついてぇええええええ!?」
唐突に爆発を起こそうと構えた彼女を、雪音は慌てて押さえつける。
「貸家なんだから、やめてーーーーーッ!!!!!!」
咲夜はその光景を見つめ、相変わらず呆然。
「知らんッ、雪音はんの阿呆ーーーーーー……ぉ…?」
雪音の後ろで呆然としている咲夜に、紗希はやっと気がついたらしく、目の前の彼に対する文句を途中で止めた。
一気に顔が赤くなる。
「お、お客さん!? い、いややわ、うち、ぜんっぜん気ぃつかへんでっ!」
「あー、いや、うん。俺の友達の咲夜ちゃんだよ」
落ち着いた紗希に、雪音はほっと安堵の溜息をついて、後方にいる咲夜を手で促した。
「…咲夜です。はじめまして」
低いトーンで話す咲夜に、紗希はにっこりと微笑むと元気に口を開く。
「うちは、神代紗希。よろしぅ♪」
「え、ええ。よろしく……紗希ちゃん」
双方の自己紹介が終わったところで、雪音は紗希に、困ったような笑みを浮かべながら言う。
「ごめん、紗希。そんなわけだから、ちょっと、今日は紗希の文句聞けない」
「……綺麗なヒトやからって手ぇだしたりしたら許さへんで?」
「しないしないしないしないっ!! 断じてしません、ええ、断じてっ!!
……だから、ごめんね。今日は、帰ってくれるかな…?」
優しく、彼女の頭を撫でる。
紗希はちょっとだけ頬を赤らめると、
「ん……わかった」
小さく俯いて、呟くようにそう言った。
咲夜との話もある。
が、重要なのはそこではなくて。
いつ、この場所に、例の危険人物が現れるかもしれないってこと。
もっとも、その話をしたら、紗希が「危険だ」と怒ったり、それならまだしも「自分もやる」なんて言い出しかねないのは分かっているから、あえて言わない。
なんとなく、雪音のほうを気にしながら家を後にする紗希の姿を、見えなくなるまで彼は玄関先で見送る。
ぱたん。
静かにしまる扉。
それとほぼ同時に、咲夜は呆れた声を出した。
「――恋人ですか」
「あー。うん、まあ、そんなとこー」
さっきまでの緊張感も何もなく、雪音はへらっと笑って見せた。
それが、咲夜は気に入らなかった。
印象に残る男、いざというときに頼りになる男。
そんな思いが、恋愛感情に変わるなんてのは、世間でも――
「貴方から言ったんですか」
「そ。俺が口説いたの」
咲夜は、緩んだ顔の雪音に向かって小さく笑う。
続けて出てくる言葉を、もう、制御できなかった。
「大切なんですか」
「うん、大切だよ♪」
「……大切なら好きだなんていうべきではなかったのではないですか」
冷たい声だな、と雪音は冷静に思った。
「貴方だって分かっているはずです。
自分がいつ人を殺してもおかしくない身体をしているって。
あのコは気付いているんですか? 知っているんですか?
あんなお子様に何がわかるんですか?」
彼のサングラスの奥で、何かがうごめく。
「あのコが自分の命と引き換えに貴方を愛せるとでも?
所詮、私たちとは違う人種。
自分の命がおしくなったら貴方を盾にしてでも逃げるに決まってる」
霧は右手に集中し、その形を刀身へと――
「貴方にはふさわしくな」
「まだ喋り足りないか?」
その形を刀身へと――[華月]へと変え、その切っ先は眼前の咲夜の首筋を的確に捉えようとしている。
咲夜は、ごくり、と息をのんだ。
思い出した。
この男がどれだけの力を持っていたのか。
忘れていた。
あまりにもあの頃と違うから。
「……もう、言うことはありません」
「………」
彼女の言葉に、雪音は表情を無くしたまま華月を霧散させた。
「俺は別にどういわれてもいいんだけどね。彼女の悪口は言わないように」
にっこりと笑う。
安堵の溜息をついて、咲夜はその場に座り込んだ。
「変わりましたね、雪音」
「ん、そう?」
「以前は、あの頃は、いつもさっきみたいな。……今はなんて穏やかな気配」
「こっちが本当の俺さ。あんな集団抜けられて、俺は清々してるんだ」
へら、と笑みを浮かべて雪音は、座り込んだ咲夜の前にしゃがみこむ。
咲夜の顔を覗き込むようにして、ついっとサングラスを下げた。
金色の穏やかな光が、咲夜を映す。
「清々してるんだけどさ。
でも、やらなきゃいけないことってのもあるデショ。
俺、この街危険にさらしたくないんだよね、極力さ。
……だから、危険物は早急に排除しないとって思うんだよね」
雪音は、そんな風に彼女に答えを出した。
1 † 2 † 3 † 4 † 5 † 6 † あとがき