「っ………!!!!」
咲夜は声にならない声をあげて、勢い良くベッドから起き上がった。
「眠れない?」
雪音は玄関先からそんな風に声をかけた。
ここ二日。
咲夜は雪音の家にいる。
――こんなこと紗希に知れたら殺されるかもしれない――
雪音は紗希が親父さんの手伝いで忙しい事を、このときほど感謝した時はなかった。
もちろん手なんて出してない。
けれど女性を部屋に泊めるという事実だけでもなんだか後ろめたいのは、彼の日ごろの行いのせいか。
咲夜にベッドに寝てもらい、自分は玄関先にいるという状況下。
咲夜はこうやって夢にうなされては起きるということを続けている。
「……夢を見ました」
「また、マザーに殺される夢でも?」
「闇に飲み込まれる夢です」
「……精神的な恐怖かな」
苦笑して、雪音はベッドへと足を運んだ。
ベッドの端のほうに座ると、
「ま、俺がいる時点で八割方勝利は決まったようなもんだしね。安心してねなよ」
へらっと笑って、冗談めかしてそんなことを言う。
「サングラス、はずしているから、なんだか昔に戻ったようです」
まったくかみ合わない返事が返ってきた。
「……寝るときぐらい、サングラス外させてヨ」
苦笑して答える彼に、咲夜はやっと笑う。
不思議なものである。
あんなに義理も恩もないと思っていたのに、昔の仲間と思うと、次第に情がうつってくる。
もっとも雪音には、敵を前にして仲間割れなんてするつもりはさらさらない。
「昔話をしてもいいでしょうか」
「……あの頃の話?」
雪音の問に、彼女はその昔話で答える。
「貴方は本当に強かった。
はじめは、ただのマザーのお気に入りだと思っていました。けれど、違った。実力が備わってた。
貴方の殺し方は、鮮やかだった」
「……こんな夜に男と二人でいるってのに、色気のない話だね」
雪音は苦笑して窓の外に視線を向ける。
彼女はどこか遠くを見るようにして、続けて口を開いた。
「仕事で貴方と一緒になって、貴方の腕を見て、そして貴方の悲しげな瞳を見て。
私、不思議な感覚に陥ってました」
月を見ながら、彼は無言で話に耳を傾ける。
「マザーがあんなことになって、そして逃げ出して。
この街で貴方を見つけ出したときは……嬉しかった。私――」
唐突に、雪音の体が少し硬いベッドに押し付けられた。
「さく……」
名を呼ぶ彼の唇を、咲夜は自分のそれでふさぐ。
しばしの間。
雪音は、離れる咲夜の顔を見て、再度苦笑した。
「……これって普通立場逆デショ」
「襲われるってどんな気分ですか?」
「あんまりいい気分はしな」
言葉を制するように再びふさがれる唇に優しく応えながら――雪音は、彼女のことを思い出した。
親父さんの仕事を手伝った彼女は、今ごろ疲れ果ててぐっすりオヤスミなんだろうか。
どんな顔で寝ているんだろう。
きっと、無邪気でかわいらしい寝顔なんだろう。
彼女は――紗希は、俺の夢を見てくれるんだろうか。
可笑しくなった。
他の女性と口付けていても、よぎるのは彼女のことばかり。
「待て……待て待て、咲夜。ここまでだ」
雪音は眼前の彼女の肩を押しやり、小さくかぶりを振って言った。
「……なぜですか? 彼女がいるから?」
当然のように湧き上がる問いかけに、雪音はへらっと笑うと口を開く。
「うん、そうなんだけどね。
ようするに、なんていうか、俺の美貌にアフロヘアーは似合わないと思うんだよネ」
「……は?」
思い切り間の抜けた声を出す咲夜。
「咲夜もそう思うデショ」
「あ、いや、はぁ、そりゃ、思いますけど……でも、それとこれとどう関係が」
「大いに関係ありなんだなー、これが」
何か思い出すように小さく笑って、彼はベッドから体を起こす。
以前。
紗希に爆発(小)でアフロヘアーにされかけたことがあったっけ。
なんて、そんなことを独りごちる。
もっとも、他の女性とキスした時点でアフロの対象になるのだろうが、そこは、まあ、なんとかうまく回避するとして。
……っていうか、バレないようにするとして。
彼はさらに言葉を付け加えた。
「それにね」
雪音の瞳が淡く光る。
「お客さんがもうすぐくるみたいだし」
彼の予感は、当たった。
長身で左眼に眼帯をつけたその男は、ただなんとなく月明かりを見ようとその夜散歩していた。
「月はいつどこで見ても幻想的でござるな」
不意に上を向き、彼はそんなことを呟く。
思いを馳せるのは、故郷。
家の慣わしで20年放浪の旅を続けなかればいけないとはいえ、故郷の妻と息子を忘れるわけなどない。
彼は――ファムナスは月の優しい光に目を細めて、その、住宅地からは離れた空き地に立っていた。
「こんばんわ、お願いしたいのですが」
唐突に。
そう、唐突に、である。
何の気配もなかったところから、声がした。
いや、気配どころではなく、確かにこの場には自分以外誰もいなかったはず。
「なん」
――でござる?
声の主にそう問いかけようとして――しかし、ファムナスがその言葉を最後まで言うことはなかった。
なにか、丁度触手にでも薙ぎ払われたかのように、彼の体が一直線に、飛ぶ!
「ぐ………ッ」
濁った声を口の中に押しとどめ、ザッ、と派手な音を立てて彼は何とか体制を整えながら着地した。
不意打ちを受けた腹部が、じんわりと中から痛む。
「…ッ……ごほっ…」
数度むせ、息を整えると、彼はやっと自分を薙ぎ払った相手に視線を向けた。
女。
月明かりの下、輝く長い金髪を持った、中肉中背の女。
「拙者に何用でござろう?」
腰に携えていた刀を抜き、そのすらりとした美しい刀身を眼前の相手に向け、彼は静かな声で告げる。
その女は、小さく笑うと抑揚のない声でファムナスの問いかけに応えた。
「お腹がすいているんです」
なんともマヌケな応えである。
――が。
その立った一言に、ファムナスの全身を悪寒が走りぬけた。
たかだか女の一言――いや、たかだか?
彼は、刀の切っ先を向けたまま、動くことなく再度問いかける。
「生憎、拙者食べ物は持ち合わせておらぬゆえ、他を当たってはもらえぬか」
「いいえ、持っています」
「……拙者が何を持っておると?」
胆田を据える。地を足でつかむ。
いつでも行動をおこせるように。
いつ――いつ、[攻撃を仕掛けられても]平気なように。
ファムナスは重心をしっかりと足にかけた。
「貴方の力が私のお腹を満たすのです」
――地面を蹴る!
眼前の女に迫り、ファムナスは轟音を立てて刀を一気に振り下ろした!
キィンッ。
乾いた音が闇に響き、女はいつの間に手にしたのか、大きめの鎌で彼が振り下ろした刀を弾く。
弾かれ、一瞬体勢を崩す彼は、左足をずらし体勢を整えなおすと、続け様に左下から右上へと風を薙いだ!!
――切ったものは、闇。
「拙者、ファムナスと申す。そなたの名は?」
闇をきりつけた状態で、おもむろに彼はそう言った。
女は――月明かりの下、少し狂気じみた薄笑いを浮かべ、冷たい声で呟くように名を告げた。
「宮古」
あたりの空気が、その名に怯えるように、かすかに震えた気がした。
1 † 2 † 3 † 4 † 5 † 6 † あとがき