「・・・・・・・・・・・・・」
もはや弥勒に言葉はなかった。
目の前にいる珊瑚は珊瑚ではない。
それはわかる。
・・・・・・・・しかし
現実珊瑚の姿声で他の男との結婚を告げられたのである。
こんな残酷なことがあるだろうか。
とても返事をすることなど出来やしない。
頭で理解していても素直に従うことなど・・・・
「ここは寺じゃから仏前式になるが、それでもよいのじゃな?
このそなたの衣装ではちと不釣合いだがのう」
いつのまにか蔵から戻った夢心和尚が代わりに答えていた。
その手には少し黄ばんだ大きめの箱。
それを静流の前にそっと差し出す。
嬉しそうに微笑んだ彼女が箱から取り出したものは・・・・
───真っ白なウエディングドレスだった。
達人と静流の話を聞いてみるとこういうことらしい。
彼らは幸せな結婚式を挙げるはずだったその日に
式場に向かう車が事故に巻き込まれ、その命を散らしてしまったのだと。
あまりにも突然におとずれたその悲しい現実は
二人をこの世にとどまらせるには十分だったであろう。
「色々と準備もある、式は明日一番で執り行うことでよいな?」
「はい!どうもありがとうございます!!感謝いたします!」
犬夜叉と珊瑚、もとい達人と静流は涙を流さんばかりに喜ぶ。
「和尚・・・・それは・・・」
「こうなってはどうしようもなかろうて。ちゃんと成仏させてやるのが
わしらの出来ることじゃ。そうすれば元の持ち主に体は帰るであろう」
未だに納得いかない表情の弥勒が和尚に食って掛かるが
それが最善の方法だと諦めた様子で大きくためいきをつく。
「しかし・・・どうして思いの残った代物なんかが蔵にあるんだ?」
「随分前にご両親から預かった箱じゃ。
夜な夜な泣くというのだが、お払いは済ませたし
かすかな霊気は感じていたものの、悪いものではなかったのでな。
そのまま蔵にしまってあったのを忘れとったわい」
ほっほっほと笑う和尚にまた無言でげんこつをくらわした弥勒であった。
星の瞬きをさえぎる街灯もないここでは、空には見上げると満天の星。
昼間のうるさいほどの蝉の声も嘘のように静まり返り
時折聞こえてくるのは涼やかで囁くような気の早い秋の虫の声だけ。
もう時刻は日付が変わるところだった。
弥勒はさすがに寝付かれず、一升瓶を傍らに
縁側に座り込んでひとり酒を飲みながらぼーっとしていた。
先程からかなりの量が減っているにもかかわらず
少しも酔う気配は無い。
もともと酒には強いが今夜だけは飲めば飲むほど
頭が逆に冷めてゆくような最悪な状況だ。
あれからばたばたと慌しく明日の準備を手伝った。
和尚がいつになくてきぱきと指示をしたおかげで
式のほうは滞りなく行われることだろう。
────仏前式の結婚式。
そう、見た目は珊瑚と犬夜叉の。
「・・・・・・なんてこった・・・」
頭をくしゃっとかきむしるとまた手の中のコップを口に運ぶ。
先程から同じ台詞同じ行為の繰り返しだ。
もう一度酒をコップに注ぎ、今度は大きくため息をつく。
背後には気配と共にふわりと香るいつもの香り。
振り向かなくても弥勒には誰がそこにいるのかわかってしまう。
「・・・・・・・あの・・・・夜分遅くよろしいでしょうか?」
紛れもなく彼の人の聞きなれた声がおずおずと問い掛けてきた。
心に一つため息を落とすと、先程までの憂鬱な気配を一瞬で消し去り
いつもの穏やかな表情で弥勒は後ろを振り返る。
そこには珊瑚であって珊瑚ではない、少し遠慮がちの
静流がこちらを見つめていた。
「・・・・どうしました?眠れませんか」
そっくりそのまま自分に返ってきそうな問いかけに心で苦笑いする弥勒。
それにはまったく気がつくはずもなく静流は口を開いた。
「かごめさんから聞きました。私たちの我侭でこんなことになって・・・
本当にすみません」
自分と珊瑚の関係を聞かされた静流が消え入りそうな声で
弥勒に謝罪の言葉をのべた。
伏目がちのその表情は星明りに照らされいつにも増して美しい。
普段なら甘い言葉の一言でも囁いて抱き寄せているところだ。
しかし今の珊瑚の中身はまったくの別人で。
いくら体は本人でもその心がなければ・・・・・意味がない。
「明日は早い。もう休んだほうがいいでしょう」
あくまでも穏やかに弥勒は立ち上がり静流に背を向けた。
「あのっ!一つだけ言わせてください!」
振り向かないままの背に凛とした声が届く。
そして少しの間を置いたと思うと今度は小さく囁くように・・・・・
「・・・・・・・先生・・・ごめんね」
驚いて振り向いた弥勒に珊瑚が微笑んだ。
それは紛れもなく───
「珊瑚?!珊瑚なのかっ!!」
この世のものではない静流のせいか、その微笑はどこか儚げで
今にも消えてしまいそうな危うさを漂わせていた。
思わずその腕を引き己の腕の中に強く抱きしめる。
とっさの出来事に驚いた珊瑚の体がかすかな抵抗を見せた。
「行くなっ!!」
尚一層腕の力を強める弥勒。
「・・・・・・行かないで・・・くれ・・・・!」
先程までの穏やかな仮面はもはや跡形もなく
そこにいるのはただ一人の女性を愛する男の素の姿であった。
腕の中の珊瑚はすでに抗うことを止め、弥勒の白い綿のシャツに
顔をうずめて暫く黙っていたがやがてその面を上げた。
先程までの危うさとは違い、強い意志の宿る瞳で見つめ返している。
「あたし、静流さんに協力したい」
これには今度は弥勒が驚いた。
勝手に体を乗っ取られたというのに文句の一つも言うどころか
その相手に協力したいと言う。
本当に体を返してくれるとは限らないにもかかわらず、だ。
珊瑚本人に拒む意思があれば静流も簡単には中にはいられない。
それがされるがままなのは彼女の意思なのか。
そしてそれを伝えるべく、ほんのひと時静流は珊瑚に体を開放したらしい。
「しかし珊瑚・・・」
「大丈夫」
弥勒の言葉を笑顔でさえぎりもう一度きっぱりと言い放つ。
「きっと帰るから」
少しも迷いの無いその言葉。
微笑んだ黒曜石の澄んだ深い瞳には一片の曇りさえ見つからない。
もはや己が何を言っても彼女を止められないことを弥勒はよく知っていた。
どんなことでも決めたことは最後までやりとおすのが珊瑚だ。
そんな彼女だからこそ・・・・惹かれたのだから。
「・・・・お前には負けるな」
ふっと表情を緩め優しげな微笑で愛しい人を見つめる弥勒。
それから少しすねたように珊瑚の耳元で囁いた。
「花婿役が犬夜叉なのは不本意だが」
きょとんとする珊瑚に苦笑しながらおでこに軽く唇を当てる。
「・・・・・・必ず帰ってこい」
その言葉に珊瑚が嬉しそうにこくりと頷く。
そうしてするりと弥勒の腕から離れた後、瞳をそっと閉じた。
「あたしの居場所はここだから・・・・」
一瞬淡く光輝く珊瑚の体。
弥勒は彼女の意識がまた遠のいたことを知った。
「・・・・・・隠れてねぇでさっさと出てきやがれくそ坊主」
一礼して寝所に去ってゆく静流の後ろ姿を見送った穏やかな
弥勒の表情ががらりと変わる。
その恐ろしいまでの低い声音にも驚く様子も見せず
柱の影から夢心和尚が姿を現した。
「なんじゃつまらんのう。もっと濃厚なやつをぶちゅ〜っと・・・」
派手なげんこつの音が静かな縁側に響きわたる。
「てめえにこれ以上弱み握られてたまるか」
いつもの笑い声をたてながら和尚は縁側にゆっくりと腰を下ろした。
置かれていた一升瓶の中身はすでに半分ほどになっている。
真顔になった和尚がコップを手にとると弥勒に差し出した。
「・・・・・・・まだ足りんじゃろう」
「・・・・・・・・・・・・ああ」
和尚の横に再び腰を下ろす弥勒。
心なしかその表情は険しさが緩んでいるように見える。
「仏の教えでは一人の男性と一人の女性が結ばれ
生涯を共にするのは前世からの宿縁と言われておる」
どこから出してきたのか自分のコップに酒を注ぎながら
夢心が語りだした。
「あの二人もしかり。その宿縁には誰も逆らえん。
それはおぬしとて同じ事じゃ」
「宿縁・・・・・・・か」
黙って聞いていた弥勒がぽつりと呟く。
その宿縁に導かれて男と女は本来の相手にめぐり合うべく
出会いと別れを繰り返すのか。
達人と静流のように現世で結ばれぬまま散ってしまっても
やはりその魂は惹かれあい結びつこうとしている。
思えば自分の今までの数々の女性との出会いは
すべて珊瑚に出会ってからなんの意味ももたない。
弥勒もはっきりと自分の宿縁の女性が誰なのか
今更ながらその身をもって確信していた。
「おぬしの宿縁の相手があの娘かどうかはわからんがの」
「決まってるさ」
いつもの飄々とした和尚に戻った夢心に対して即答すると
にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「いつでも珊瑚の横にいるのは俺だけだ」
そう言い切った直後己に向けられる和尚の含みのある眼差し。
「なんだよ」
「いやおぬしからそんな台詞が聞けるとは思いもよらんかったわ」
さも驚いたとばかりに和尚が大げさに声を上げる。
「あの娘の隣はおぬしだけだとしても・・・」
それからはて?とばかりに首をかしげた。
「おぬしの隣にはたくさんのおなごが見えるが、気のせいかの〜」
「げほっ!」
思わず飲みかけていた酒を噴出す弥勒。
「珊瑚だけだと言ってるだろうがっ!」
げほげほとむせながら反論するが和尚は楽しそうだ。
色々と知られている分何かと立場が悪い。
がっくりと肩を落とすも最後に無駄な足掻きをしてみる。
「・・・・・・・・過去の過ちは忘れろ・・・・頼むから」
命令口調のあとで懇願している己の情けなさ。
ほっほっほと笑う声を聞いているうちにバカらしくなって
弥勒も思わずつられて笑い出す。
珊瑚のことは心配だが彼女の言葉を信じてみよう。
宿縁の行く末をこの眼で見届けてやろうじゃないか。
「こうなったらやけだ!飲むぞ」
和尚に向かって空のコップを勢いよく突き出す。
「わしに勝てると思うてか」
にんまり笑う夢心が弥勒のそれになみなみと酒を注いだ。
和尚と二人夜更けまで酒を飲み交わし
弥勒が二日酔いになったことは言うまでもない───
もどる その3へ
幻の花嫁2(没バージョン)