[名山とは]
 深田さんの名著『日本百名山』は、近代アルピニズムとは異なる日本の伝統的な山岳観に
基づいている。そもそも「名山」という概念は古く紀元前から中国の文人達の間に生じ、日
本に入ってきたものである。一般に「麓から仰ぎ見た姿の品格のある山」(『新明解国語辞
典』)を「名山」と言っていた。この「仰ぎ見た」でわかるように、頂上に登ることよりも、
麓から眺めた姿によって名山と位置付けられるのである。深田さんが日本百名山を選ぶ基準
の第一に山の品格をあげ、「どこから眺めるとその山がどのように見えるのか」を丹念に書
き込まれたのも、このオリジナルな定義を踏まえていたからである。

 もちろん好天の時山頂に登れば、まわりの他の山々の眺望は良い。一方その山の"姿"を楽
しむには、登っていく途中からなら見えることが多いが、当然のことながら頂上からは、そ
の山は足下で見えない。頂上に登る必要は必ずしもないのである。さらに悪天候や霧の中を
"がむしゃらに"頂上まで登ってしまうと、皮肉なことに「名山を定義づける肝心なその山の
姿」を全く見ないで帰ってしまうことになる。

 しかも名山は必ずしも姿だけではないらしい。本家中国の名山は五岳と称され、東の泰山
を第一の名山としている。泰山を眺め登った帰り、汽車で同室したインテリ風の老婦人に
「チョモランマは名山か」と聞いたところ、「いや、あれは私たちが遊ぶ山ではないので名
山とは言わない」と言われ驚いた。中国での名山の概念には、その山に分け入り、景色を見
たり、歴史的な建物を見たり、花鳥風月を楽しむことも入っているらしい。この考え方は、
「物見遊山」という言葉で日本に伝わってきているし(例によって、ややゆがんだ意味に日
本では変容しているが)、現代日本でもさまざまなやり方で"山に遊ぶ"人々は増えている。
昭和前半の第一次登山ブーム期の木暮理太郎、田部重治らに代表される、「山岳展望」や奥
秩父の「山と渓谷」を楽しむ「静観的登山」は名山趣味の本流なのだ。

 また、日本にアルピニズムを輸入した"洋行帰り"の槇有恒の主著の一つが「山行」である
ように、日本では登山家といわれる人にも「山を登る」よりも「山へ行く」という表現を好
む人が多い。「山行」は、たとえば杜牧の有名な詩の題でもある。

	遠く寒山に登れば 石径斜めなり
	白雲生ずる所 人家在り
	車を停めてそぞろに愛す 楓林の晩
	霜葉は二月の花より紅なり

 この山はどう見ても人里離れた岩と雪だけの山ではないし、杜牧はその山の頂上に無理し
て登る気、ましてや征服してやろうという気など全くない。今私たちが山へ行って、野の花
々を愛でたり、野鳥の声を聴いたりするのと似た、自然を楽しむ心、自然への愛好がはっき
りと吟われている。

 一方、「魔物が住むと信じられて人々が寄りつかなかった山に勇敢に立ち向かい頂上を征
服する」というアルピニズムは、文化的にもはるかに遅れていた18世紀の西欧(西欧近代
科学は医学を含め当時の先進国・イスラム諸国のアラビア科学の模倣から起こった)で、い
わゆる"近代化"とともに突如起こり、他の民族が住んでいるところを征服し支配・収奪する
ことを良いこととする植民地主義の高まりや、実は浅はかな面のあった工業化、都市化とと
もに19世紀を風靡した。地元の人々の信仰の対象だった山も、征服の対象として、岩と雪
だけに"無機化"された。"登山家"の個人的な思いや対応はさまざまではあったが、登頂至上
主義はしばしば麓の人々との対立や無視を生み出し、貧しさから逃れようとして金で雇われ
たシェルパ・ポーターなど多くの地元の人たちが、アルピニストの征服欲を満たすための
"登山"で死んだ。日本でもアルピニズムは、明治以来の西欧崇拝の風潮にのって安易に模倣
されて、一昔前まで流行ったが、それとは全く異なる山との付き合い方が、もともと非西欧
世界、ことに日本を含む中国文化圏、にはあったのである。

 私の「世界百名山」は、このような「名山の定義」にもどって、山岳信仰・自然信仰とも
通じる日本古来の山との付き合い方で、世界のいろいろな山に行って、私流に山を眺め、登
れたら登り、山の自然を楽しみ、その山のまわりに住んでいる人々とその生き方を垣間見よ
うというものである。
【 私の世界百名山」の選び方4つ 】

1 山の姿が印象的であること。
 たとえば、「雁 カ腹摺山を大峠から登っていて、視界がパッとひらけて富士山を眺めた
ときの感覚」と言ったものである。これは深田さんも言う「山の品格」なのであろうが、名
山と言われるものは、眺望図などなくても眼に入ってきたときに、あたりの山々を圧して、
もうそれとわかる迫力をもっている感じがする。個性と言っても良い。オーストラリアの山
々のうち、車道が頂上近くまで行っているゆるやかな最高峰コシュアスコよりも、ウルル山
(エイヤーズ・ロック)をまず選んだのはこの理由による。両方の山を眺めたことがある人
の大半はこの選択に同意してくれると思う。

2 麓の人々との関わり、歴史があること。
 富士山をはじめ日本の多くの名山もそうであるように、世界の名山の多くも、麓の人々か
ら信仰の対象とされている山が多い。チベットのカン・リンポチェ(カイラス)のように麓
にはほとんど人が住んでいなくても、ヒンドゥー教や仏教・ボン教などの聖地として遠くか
ら大変な旅をして人々が巡礼に訪れる山もある。
 ウルル山の麓のアボリジニーの人々のように、山のまわりに住んでいる人々がどのような
暮らしをし、どのような文化をもっているかも見逃せない。深田さんが麓の歴史と表現した
部分を含んでいる。ただアメリカ大陸などでは、もともと住んでいた先住民族が白人によっ
て絶滅させられてしまったところも多く、資料でしか昔のことを知る術がないのは残念で哀
しくなる。
 また、登山の歴史をつくった「本当のパイオニア」たちをはじめ、様々な分野での先駆者
の「人生の光と影」を知り、「いかに生きるか」を探る糧ともしたい。

3 世界各地の多彩な山々を、地理的・文化的になるべく公平にとりあげること
 ひと昔前は、いわゆる欧米のアルピニストが当時の各自の、はっきりいって狭い経験や知
識だけで選んでいたので、アルプスやヒマラヤの山々がリストの大半を占めていたが、今日
では飛行機の発達で丸三日もあれば世界の全ての国に行ける時代である。山と人とのつなが
りや、山麓の人々の歴史を探り、さまざまな文化を紹介するためにも、8000メートル級、
7000メートル級だからといってヒマラヤの山々をたくさん並べるような愚は避けたい。
「山高きがゆえに貴からず」である。またヨーロッパの山々に関しては、実際にアルプスを
中心に50から60山ほど行って眺めて見たので多少自信があるのだが、山の自然には似た
ものが多く、さらにスノードン、ベスビオ、モン・ベントーなど、昔西欧人によって名山に
入れられたことのある山々についても、他の地域とのバランスを考えて現段階では除くこと
にしている。過去の欧米中心主義(植民地主義・白人コンプレックスを引きずっている)や
登頂至上主義でゆがめられた、歴史的・文化的な視野の狭さには組みしたくない。

4 私が行った山に限ることにした。
 頂上が眺められたり、天気や体調が良く、運が良くて私の能力でも登れた山である。一つ
の頂上に登ることさえ命がけであることが多い世界百名山レベルでは、山容や頂上を眺める
場所に到達するのにも各種の危険を伴う場合が多い。たどり着いたとしても、必ずしも山が
見えるとは限らず、運、不運によるところが大きい。ことに私の好きな熱帯の山々にはたい
てい雲がかかっている。たとえばアフリカの名山ルウェンゾリも、はるか昔、コンゴ(当時
ザイール)の野生ゴリラを見に行く途中麓を通ったのだが、余程の幸運に恵まれない限り、
そこから頂上を見ることはできない。車で簡単に行けるオーストリアの最高峰グロス・グロ
ックナーでさえ、夏の良いシーズンに行ったのだが二度とも雲に覆われ、三度目にようやく
その全容を眺めることができたほどだ。
 いずれにしろ、このリストは私の基準で、私が勝手に選んで楽しんでいるもので、他の方
はご自分の考え方でご自分の好きな山を自由に選んでいただければ、何の問題もない。「日
本百名山」でも同じであるが、深田さんは深田さんとして、それぞれ独自に『私の百名山』
を選んで、山を楽しめば良いのである。深田さんも「独創的な登山を」と晩年書き残してい
る。

百名山リストへ