Before oath to jihad, drifting and boredom

ワイル・アルシェヒ(25)
ワイード・アルシェヒ(21)
アーメッド・アルナミ(23)
サイード・アルガムディ(21)


モダンな商店街やブロック製の新興住宅が立ち並ぶサウジアラビアの都市カミス・ムシャトに、セキェレイ一族として知られる地元の名士アルシェヒ家の建設したセキェレイモスクがあった。セキェレイ一族はカミス・ムシャトの街の中心を通 る高速道路の建設で、最近死亡した建設会社経営者のムハンマド・ビンラディンと共同した建設会社の社主である。


カミス・ムシャトの街

セキェレイ一族のワイルとワリード・アルシェヒ兄弟、彼らの友人でアブハ地方の近辺から来たアーメッド・アルナミとサイード・アルガムディの4人は、2000年春に「聖戦(ジハード)」の誓いを立てるためにこのモスクを訪れ、数カ月後に家族から隠密に失踪をはじめた。彼らはウサマ・ビンラディンの主催するイスラム過激派組織アルカイダ・テロネットワークに加わり、9・11同時多発テロで旅客機をハイジャックしたサウジアラビア人の中に名を連ねた。

ワイルとワリードの父ムハンマド・セキェレイ・アルシェヒはグローブ誌の取材を頑固に断ったが、異母兄であるアブドゥル・ラフマン(40)が父親の西側のマスコミ批判をよそに取材に応じた。

「まず、弟たちがイスラム正教徒であったことを理解してください」。父親の4人の妻と15人の兄弟という複合家族で生活するアブドゥル・ラフマンは言った。「弟たちは若く退屈していたし、私たちは彼らに何が起きたのかわからなかった。正直に言うと、弟たちの一人(たぶん兄のワイル)は愚鈍に見え何ごとにもやる気をなくしていた。このすべてが私たちには信じられないことです」。

アブドゥル・ラフマンは父親がセキェレイモスクを建設したこと、兄弟たちがテレビやインターネット、音楽や、婚前交渉にうつつを抜かすことのない、敬虔で厳格なワッハーブ派のイスラム教徒であることを説明した。

アルシェヒ家は年長の3人の兄たちが近くの空軍基地で高位 につくという軍人家系で、彼らの伯父ファズ・アルシェヒはサウジ空軍少将である。湾岸戦争でアメリカがイラク空爆の際に使用したその基地は、ウサマ・ビンラディンの息のかかると思われる者によって、2000年10月に銃撃された。ワイルとワリードは軍隊に勤務はしなかったが、ワイルは一族のコネを生かして空軍基地のジム教師になった。彼はそこでフライトシミュレーターの経験があると見られている。

ふたりの兄弟は、地方の名士の、厳格なイスラム教徒の家に生まれたことに重圧を感じていた。彼らは敬虔に信仰してはいたが、その反面 でマルボロを吸い、インターネットカフェでネットサーフィンをし、ポップミュージックを好んだ。1999年の暮れ、ワイルは25才で深いノイローゼ状態に陥った。それがテロへ至るきっかけだったと異母兄のアブドゥル・ラフマンは言う。ワイルの友人は、彼は単なるノイローゼ状態ではなく、自殺の傾向さえあったとさえ言う。ワイルはジム教師の仕事を休みがちになり、21才のワリードに付き添われてメッカの信仰治療師に会いに行った。ふたりがコーランを厳守し、断食し、ジハードへの参加を勧める戦闘的なイスラム聖職者(イマーム)に会ったのは、この時だった。

2000年春の終わりに、彼らは家族の前から姿を消した。友人たちは、ふたりがパキスタンへ行き、それからアフガニスタンへ渡ってテロリストの養成キャンプで訓練を積んだと信じている。彼らは2000年12月にサウジアラビアに帰り、友人たちに訓練の様子を自慢げに語った。

セキェレイモスクか、彼らを導いた戦闘的なイマームの手引きのいずれかによって、アルシェヒ兄弟はアブハの近くの町から来たアーメッド・アルナミと知り合った。23才のアルナミは、亡父がイスラム省に勤めていた(元警官という報道もあり)中流階級の出身で、6人兄弟の末っ子だった。彼はオウドという伝統的なアラビアのギターを弾き、良い声で歌をうたった。また、サウジで一番の高地サウダでキャンプファイヤーをしようと友人たちを集め、ポップスターのムハマド・アブドゥーの物まねをして彼らを笑わせたものだった。伝統的な水パイプ「ナルギラ」でりんご風味のタバコを吸うのも好きだったが、音楽、歌、喫煙のすべてに、親族の男たちからは眉をひそめられていた。


1999年、宗教キャンプでのアルナミ

1999年の夏〜秋、サウジ政府がスポンサーの宗教キャンプから戻った後、アルナミは人が変わったように極端に信仰に傾倒した。友人のひとりは、彼が180度変わったのは、鬱病にでもかかっているのではないかと危惧した。アルナミはあごひげを生やし、旧友を遠ざけ、音楽をやめた。彼の甘い声は、アブハのアルバスラモスクで、そしてアルシェヒ兄弟と出会ったと思われるセキェレイモスクで、祈りに来る信者への呼びかけのためにだけ使われるようになった。

アルナミはアブハで旧友に会ったとき、彼らを「悪い習慣」から「正しい真実のイスラムの道(イスラム原理主義)」に導こうとした。彼はイスラム原理主義の正統的な大学であるキング・カリド大学でイスラム法を学び、そこで戦闘的な宗教指導者たちに傾倒したと、友人たちは言う。アルナミは、同郷のアブハから来たサイード・アルガムディとも、そこで知り合ったと見られている。「彼は、私たちからは程遠いところに行ってしまった。そして私たちも、彼を見失ってしまった」と、彼のハイスクール時代の友人は、アルナミのスナップ写 真を見ながらつぶやいた。

2000年春に、アルシェヒ兄弟、アーメッド・アルナミ、サイード・アルガムディの4人の若者がセキェレイモスクに集まり「ジハード」への誓いをたてた。秘密の儀式は、ワイル・アルシェヒによって仕切られた。彼はアブモッサブ・アルジャンビという儀式用の名を持っており、アブモッサブとは信仰のためにすべてを投げ打った予言者ムハンマドの友人の名であり、アルジャンビは「南方の」を意味する。

彼らはこの集まりで、カミス・ムシャトやアブハの無駄 話をする以外にやることのない20代の若者について語り、「アシールの息子たち」としての参加を誇った。また、サウジアラビアで一般 的なウェブサイト「www.alsaha.com」のチャットルームで儀式について話し合うこともあった。

アルシェヒ兄弟はボストン発アメリカン航空11便に乗り込み、世界貿易センタービルの北側タワーに突っ込んだ。そしてアーメッド・アルナミとサイード・アルガムディはニューアーク発ユナイテッド航空93便に乗り込み、乗客らとの乱闘の末、ペンシルバニアの林野に墜落した。

 

 

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※掲示板でS女さんにもらった記事を、722&192でまとめました。S女さん、ありがとー。