私は何か言葉を返さねば周囲に悟られると思い、適当な言葉を取り繕うと思った。
「綺麗な色のベールですね」
やっとこれだけ言うと、パリグルは木目の細かな白い頬を赤らめながら、「主人の大好きな色なのです。主人が選んでくれました」と言う。よく見ると小さな唇の上にある黒子が思いのほか色気を感じさせた。

女達は口々にはやし立てる。
「マスードさんステキ」
「お優しいのね」
「優しくて強くて全く理想よね」
私の我慢は限界に来た。もう嫌だ。出ていってやる。
「どこへ行くの?ヒンド」
「お母様。トイレへ行ってきます。お腹が痛いんです」
「まあ、なんて下品なことを・・・」
私は女達を振りきって外へ出た。
(彼は、私とは正反対の妻を選んだんだわ・・・

(第二夫人と言う手があった!)
こんな考えに私が行き着いたのは、朝の礼拝の時だった。パリでは咎める人もないので、私の信徒としての義務はかなりいい加減になっていた。最近ではほとんどモスクにも寄り付かなかったのだが、実家では親姉妹が五月蝿いので、眠い目をこすりながら仕方なく礼拝しているのだ。でも、今朝は自分がイスラムの信徒の家に生まれたことを神に感謝し、心を込めて額ずくことが出来た。

(何ていい考えが浮かんだことだろう!)
私は父上にこの決心を告げた。父は反対した。
「お前はもうパリに帰りなさい」
私は断固として否と言い返す。父は昔パキスタン時代に、彼の愛馬が骨折して決断を迫られた時に見せた表情と同じものをその端正な顔に浮かべた-哀れみと、痛ましさと、直視したくない事実。
「彼はお前に合わない男だ」
私は納得できない。
(父上が反対するなら既成事実を作ってやろう)
私の思考は西側のものなのである。

どうやら彼の愛妻は実家へ帰って彼は今一人住まいらしい。あの夜会の翌日、賄賂を使って侍女に彼の周辺を探らせたら、こんな朗報が飛び込んで来た。つつましやかで、しとやかで、賢明で可憐なパリグルは、幼い男の子を連れて彼の仕事の邪魔にならぬ ように、パンジシール渓谷の実家へ戻っているのだ。
(これはチャンス到来だわ!)
私は思わず手を打った。私自身、暴走を危惧した父上の差し金で、3日後にはパリへ戻るように手配されてしまっているのだ。もう猶予はない。私はその夜、意を決してベントレーのキーを持ち出し、門番を振り切り、彼の家へ向けて車を飛ばしたのだった。

彼は父にナジブラ大統領官邸を譲った後、一官僚が使っていた家屋に住んでいる。このクラスにしてはとても質素な作りだ。彼の質朴な精神がここにも反映されている。警護の兵士達は私の突然の訪問に度肝を抜かれたが、取りあえず取り次いでくれた。
「こちらへどうぞ」
プラチナブロンド、薄いブルーの瞳のニコライという兵士が私を客間へ案内する。
(そういえば昔彼の部下に金髪の少年がいたけど、この人とは別人のようだ。あの少年・サリムのブロンドは確か蜂蜜色で目はエメラルド色だった・・・)

・・・1984年4月、パンジシール渓谷へソ連は、Su25地上攻撃機70機、Tu16爆撃機36機を含む大量 航空支援兵力を投入、今までで最大規模の爆撃を加え、一ヶ月に及ぶ激闘の末、サラン街道を確保した。「パンジシールの獅子・マスード」死亡説が流布し、情報が錯綜したが、彼は奇跡的に生き残り、その報が当時パキスタンにいた父ラバニの元へももたらされた。パリから一時帰国していた私はその使者として金髪の少年・サリム・ラフマーンを見たのである。

「マスード将軍は、現在、ワハン回廊で機を伺っておいでです」
少年は父に対しても臆することなく、変声期前の綺麗な声で堂々と報告していた。私は姉妹と共に隣の部屋の透かし窓から覗いていたが、彼の一語一語で心の中の重苦しい鉛が溶けていくように感じ安堵したものだ。気分が落ち着くと、姉妹達が少年に注目していることに気付いた。
「雑誌で見る西洋人みたい」
「綺麗な子ねえ」
「もしかして、彼のお相手?」
少年は父に彼からの贈り物だと称して赤い薔薇を差し出し、その華やか過ぎる花と冴え冴えとした美貌の少年はよく似合うように思える。私は不安になってきた。
(あの子はいつも彼の側にいるのかしら?)

 

 

父が部屋から退出して、拝礼していた少年が立ち上がった時、私は思い切ってドアを開けた。少年は私に気付き、再び作法通 りの礼をする。私は彼を観察する。金髪、緑の瞳、白い肌。姉妹達は珍しがるが、欧州ではさほど珍しい訳ではない。しかし、イギリスのパブリックスクールの庭でも散策しているのが似つかわしい、品のある綺麗な少年だ。それに年の割にはやけに落ち着いている。

「サリム・ラフマーン・テイラーと申します」
私は2、3質問してみた。サリムは意志的な瞳を印象的に煌かせ、的確な答え方をする。
自信に溢れた態度はなんとなく小憎たらしい。次に私は核心に触れる質問をしてみた。
「ところであなたが彼のお世話をしているのですか?」
彼はすぐにその意味を察したらしい。「いいえ。ご想像のような事実はございません」ときっぱり言い切った。私は気恥ずかしさで顔が赤くなるのが分かったが、今更引き下がれない。
「では、誰かいるの?」
「はい。10年来の女性の方がコスト谷に・・・」

(やはり・・・)
体が小刻みに震えてくる。
「それはどんな方なんです?」
聞くのは恐いが、どうしても聞いておきたい。サリムは金色のまつげを瞬かせ考えていたが、「将軍のお好きなアフガンの野の花のような御方です」と、静かに答えたのを聞いて私は再び心に鉛を投げ込まれたような気分になってしまった。

 

 

「何か起こりましたか?父上のご伝言とは何です?」
彼の声が1984年から私を現実に引き戻した。いつもの柔和な微笑みを刻んだ彼ではなく、冷徹で厳しい軍司令官の顔だ。私は内心怯んだが、ここまで来たのだと自分を鼓舞して言う。
「それは口実です。父の伝言なんてありません」
「・・・?」
「私を、私をあなたの第二夫人にして下さい。あなたを愛しているんです。ずっと昔から・・・今夜はここに泊めて下さい・・・」
私は一気に告白した。彼は突然の衝撃に私を凝視し、無言で耐えていたが、やがて悲しげに視線を外した・・・

それから3日後、私は機上の人となっていた。飛行機は滑走路を疾走し、空へ上がる。テイク・オフ。私はこの瞬間が尤も好きだ。あの不愉快な彼がいるこの国から離れて幾分気持ちが落ち着いて来た・・・
あの夜、私は結局目的を達成できなかった。私は洗いざらい、自分の胸の内をさらけ出して掻き口説いた。プライドも慎みも捨てて。しかし彼はあくまで私を拒否し続けたのだ。彼は私を叱り、諭し、なだめ、そして謝罪した。

「私は決してあなたが嫌いという訳ではない。あなたの美しさ、聡明さ、率直さ、激しさはむしろ好ましいと思う。しかしこの政権は矛盾をはらんでいて・・・・」
彼によると暫定新政権はもう分裂の危機を迎えているという。ドスタムやヘクマティアルは必ず近い将来離反し、内戦も避けられないという。
「私は今後も闘い抜かねばならないのです。それには安らぎが欲しい。 ヒンド、あなたは私の同志にはなり得るのだが、安らぎにはなり得ないのです」

私は逆上し、飾り皿を彼に投げつけた。皿は的をはずれ机に当って粉砕してしまった。この物音を聞き、飛び込んで来た彼の護衛のニコライや私を追いかけてきたラバニ家の召し使いが、私を取り押さえ、家に連れ帰ったのである。私はパリに戻り、二度とアフガンへは戻らなかった。

1996年、カブールがタリバンに制圧された時、父の失脚には困惑したが、彼に対しては快哉を叫んだほど恨んでいたものだった。すべて彼が悪い・・・天罰が下ればいい。しかし、やはり私は彼を想っていたのだ。私も世に出て、荒波にもまれ、出会いと別 れを繰り返す内に、彼の人間としての格調を理解できるようになった時、自分の心に再び気付いたのだった。

(やっと写真集も見ることが出来るようになったのに・・・)
私は窓の外のエッフェル塔に再び目をやった。2001年4月、彼はトロカデロ宮殿の広場からあの搭をバックにして多数のカメラに微笑んでいた。祖国の統一と平和を信じて。

(追悼式はいつだろうか?その時は故郷へ帰ろうか・・・)
私は静かに窓を閉め、デファンスのオフィスへ行く準備を始めた。

 



2001.12.3■■

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