一線を越えてしまえば、すべては夢の中の出来事のようにどうでもよくなった。潤はそれから三日間を松崎の部屋で過ごし、日中は松崎が置いて行く小銭でコンビニで買い食いをし、夜は松崎と一緒に寝た。怠惰な時を中断したのはノブからの電話だった。八ヶ岳に行くのにみんなの仕事の都合がついたので、支度して待つようにとのことだった。潤は自宅へ帰るとの簡単な書き置きを残して松崎の部屋を後にした。

自室に着いてすぐに電話に目をやったが、相変わらず留守電は一件も入っていなかった。混乱して部屋を飛び出した時の自分が馬鹿のように感じられた。リュックに適当に着替えを詰めて一寝入りしていると「今から迎えに行く」とノブから連絡が入り、マンションの前の道に立っていると、ノブと川口、シゲオが乗ったワゴン車が止まった。

「あれ?シゲオさんも行くの?」
車内のメンツを見た潤が言うと、シゲオが笑って答えた。
「俺が行っちゃいけないの?いいじゃん、ヒマなんだよ、俺も連れてってよ」
「ちゃんとキメ物持ってきたか?」
運転席から川口がからかうように声をかけ、早く車に乗るようにうながした。

車内にはレゲエが流れ、大麻の匂いが立ちこめている。すでにメンバーたちは軽くキマっているようだった。走り出した車の中で潤も回されたジョイントを何服かし、シゲオははなから運転を交代するつもりなどないらしく、持参したウィスキーをラッパ飲みしていた。出発が夜だったため、都内を抜けるとたいした渋滞もなく、深夜に着いたログハウスで寝袋を並べてまた大麻と酒の回し飲みがはじまり、陶酔の中でいつのまにか潤は眠りについた。

 

 

目覚めると、窓から見える木立でシジュウカラが歌い、外に出ると澄んだ空気の中に青い八ヶ岳がそびえたっている。「おはよう!」と声をかけられ振り向くと、ノブがログハウスの横にカセットコンロや鍋をならべ、ダンボール箱からジャガイモやニンジンを取り出しているところだった。

「水道、そこにあるから、顔洗ったら手伝って」
「何作るの?」
「ヘヘヘ、特製カレー。スパイスはこれ」
ノブが箱から出して見せたのは、小ぶりのビニール袋いっぱいに詰まった大麻だった。
「すげえ!ガンジャカレーか。でももったいなくね?」
「せっかくのリゾートだもん、ケチケチしないでパーッといこうぜ。シゲオさんと川口にはナイショにしておいて食わせてみない?」
「おもしれえ、二人、どうなるかな?」

カレーを食べて腰を抜かしている二人を想像し、潤とノブは笑いながら料理をはじめた。が、いよいよ最後の仕上げに大麻をぶち込み煮込んでいるうちに自分たちがおかしくなってきた。
「…ノブさん、なんかさ、目回ってこない?」
「ああ…、なんかこれ、やばいかな」
鍋から上がる大麻の蒸気で二人が先にやられてしまったのだ。

「この鍋ってさ、さっきはこんなに大きかったっけ」
「…うん、このくらい……だったような気がするけど、あれ、ちょっとはじっこ曲がってるな。おまえいじった?」
「曲がってないよ。いじってない。けど、やわらかそうな鍋だよね」
「溶けたのかな、鍋」
「いや、溶けてないと思うけど、この色はやばいね。キンピカすぎるね」
「それよりニンジンなんとかしてくれ。赤いっつか」
「ニンジンってなんで赤いんだろ」
「トマト…トマトのほうが赤いよな」
「でもこのニンジン、トマトより赤いよ」
「赤と金って、なんか神社みたいだな」
「神社…カレー神社だ!」
「あはははは、カレー神社!あははは、おまいりしようぜ」

二人が笑いながら鍋に向かって柏手を打っていると、二日酔いの眠そうな顔で川口が出てきた。
「あっ、おまえらずるいな、もうキマってんのか。俺にもよこせよ」
「いいから、とりあえず腹ごしらえしてからにしろよ」
「ケチくせえな。でもうまそうだな、そうだな、食ってからにしよう」
何も知らずに紙皿にカレーをよそい、食べはじめた川口を観察しながら、ノブと潤は笑い地獄にハマっていた。うるさそうに二人を無視して二杯目を食べている途中で、川口の様子もおかしくなってきた。

「あー…、なんつーか、ゆうべの酒が残ってるのかな」
「川口、運転中飲めなかったから、着いてから一気に飲んでたもんな」
「うん。昨日は疲れてたからな。あれ?今日って昨日だっけ?昨日が今日?あれっ?」
「今日は今日だけど、昨日とつながってるからどっちでもいいんじゃね?」
「…そうなの?そうか、じゃあ明日ってなんなんだ?」
「明日考えればいいんじゃね?」
「…そうだな……つか、おまえら!俺に何をした!」

ノブと潤はふたたび爆笑をはじめたが、川口が被害妄想のバッドトリップに陥るとまずいので、一息ついてから真相を話すと、川口もはじめは怒っていたがそのうち笑いが伝染し、まだ寝ているシゲオにも食べさせようということになった。

「シゲオさん、起きて。ゴハンだよ。おいしいカレー作ったよ」
潤がシゲオをゆすりながら言うと、シゲオは薄く目を開け、伸びをした。
「あー、いい匂い。でもまだ眠い…」
「もう昼だよ。外気持ちいいよ」
「うーん、フェラチオしてくれたら起きる〜」

いつもの冗談だとわかっていても、フェラチオと聞いて松崎との三日間を思い出し、潤の胸はズキンとしたが、なんとかシゲオを外に連れ出しカレーの罠に嵌め、結局最後には全員が笑い疲れて木立の中に寝そべり鳥のさえずりを聞き、落ち着いたところでそろそろLSDをキメようということになった。潤はシゲオからもらったロケットペンダントの中のLSDを使おうかどうか迷っていると、シゲオも他のメンバーにルートを詮索されたらまずいと思ったらしく、気を利かせて先に言った。

「潤ちゃん、ホラ、松崎さんから買い戻された分。覚えてる?ブラディシープで」
ふたたび松崎のことを思い出し暗い気持ちがよぎったが、平静を装って潤は答えた。
「ああ、そういえば俺って買われてたんだっけ」
「あの分、あげるよ。一緒にキメようぜ。オレンジサンシャインだったよ」
オレンジサンシャインとはLSDの中でも純度の高い上物とされていた。シゲオはポケットから小さなピルケースを取り出すと、中の紙片を1枚、潤に渡し、もう1枚を自分の手のひらにのせ、メンバーの顔を見渡した。

「さーて、メインイベントだ。せえので食おうぜ。いいトリップを。せえの!」
皆は一斉にLSDの染み込んだ紙片を舌の上に乗せ、ゆっくりと溶かし始めた。

 



 

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