サイード


サイード・アルガムディがアーメッド・アルナミに初めて会ったのは、パキスタンのある街の写 真屋だった。
アフガニスタンの貧しい農家の末っ子に生まれたサイードは戦火に明け暮れる世の中しか知らずに育った。国内ではいくつもの勢力が主導権を争い、相対する勢力が台頭すればもう一方の勢力は略奪され、虐殺されるというくり返しだった。

生まれ育った村は破壊され、彼は家族と共にパキスタンのアフガン難民キャンプと瓦礫のような家を行き来し、なんとか生きのびていた。そんな暮らしのなかで14才になった時、難民キャンプで育った神学校の生徒たちがタリバンというグループを立ち上げた。彼らは荒れ果 てた世の中を直し正しいイスラム社会を作るというふれこみだった。パキスタンから最新の武器や資金などの援助を受けた彼らは見る間に力を示し、アフガニスタンを実質的に支配するようになった。
タリバンによって社会は一時的に落ち着きを取り戻した。彼の両親はタリバンを支持し、思春期のサイードにとって彼らはヒーローだった。

サイードは17才になると憧れのタリバン兵となった。小柄だがすばしっこく快活で機転のきく彼は指導者たちから可愛がられ、同じ年頃の少年のなかでは出世頭だった。苦しかった虫ケラのような子供時代にくらべて、周囲に一目おかれ必要とされている毎日は楽しく、彼は訓練に熱中し、戒律を守り、タリバンが理想とする戦士をめざしていた。

3年が過ぎ、サイードは対立する勢力との戦いではいくつかの手柄もたて、誰もが認める一人前の兵士となっていた。ある晩、彼は幹部のテントに呼ばれおそるおそる入ると、いつもの幹部連中のなかに見知らぬ 男が一人混じっていた。その男はサイードを自分の前に座らせると言った。
「サイード・アルガムディか?」
「はい」
「君は優秀だと聞いている。君がしている戦いは何のためだね?」
ろくに学校へも行けずこのような質問に慣れていなかったサイードは一瞬めんくらったが、 緊張しながらも素直に答えた。
「は、はい、あの、それは、イスラムの世界を守るためです」
「イスラムの敵は何だね?」
「えと、コーランの教えに、は、反するすべて、です」
「君は敵を恐れるか?」
「や、ぜんぜん、おそれないです」
「イスラムの最後のひとりになっても戦える勇気はあるかね?」
「もちろん!」
男はサイードの前にコーランを差し出して続けた。
「君は選ぶことができる。このまま兵士としてキャンプに残るか、アラーのために英雄になるか」

サイードはこれがただの問答でないことに気づき、息をのんだ。
「わたしは君がここに留まることを勧める。君はタリバンで立派な兵士の働きをして、皆に尊敬される男になるだろう。だがもしも」
暗いランプの灯の中、男は低くおごそかに言った。
「もしも君が英雄としてイスラムのために戦うなら、アラーは君の席を天国に設けいつもそばに置き、君の血族をも永遠に祝福するだろう。ただそのためには、君は現世のすべてをアラーに捧げなければいけない」

額に汗がにじみ、家族の顔が浮かんだ。この男は「殉教」のことを言ってるんだ。
自ら爆弾を抱えて敵に突入する戦法を彼らは「殉教」と呼び、自爆した者は英雄として賛美されていた。

「君は悪魔の世界へ行き、悪魔にまぎれてその時を待つ。時が来たらアラーと共に戦う。その戦いは恐怖に満ちている。君は勝利の前に恐怖に連れ去られるかもしれない。だがもしそれに打ち勝つ事ができたなら、この世に君の名が永久に残る事を約束しよう」

「アラーのために英雄になります」

少しの沈黙のあと、震える声でサイードは答えた。彼にとって未来とは、混乱した世界で戦いつづけるか、アラーのもとで勝利し、理想郷に暮らすかのどちらかしかないのだ。このままいつはてるともない争いの中で名も無く死んでいくなら、俺は英雄になろう。
西欧の若者がスターに憧れ成功を夢見るように、サイードも「英雄」に憧れていた。そのためにすべてを犠牲にできる年頃でもあった。 サイードはその晩のうちに男の乗って来たジープでキャンプを後にした。

 

 

翌週、サイードはタリバンの兵士でなく男の所属するイスラム過激派グループ「アルカイダ」のメンバーとしてパキスタンにいた。彼は自分を乗せて来た車を見送ると、その足で街の写 真屋に向かっ た。「悪魔の国」に渡るパスポートを作るためだ。もちろん偽造パスポートだが、顔写 真は 自分のものを撮っておく必要があった。
渡された地図をたよりに指示された時間どおり写真屋に行くと、そこには先客が来ていた。 先客は店の奥の粗末な椅子に座り、サイードに気づくとぶっきらぼうに言った。
「サイード・アルガムディ?」
その青年の顔を見た時、サイードは「女みたいやつだ」と思った。じっさいどことなく線の細い、濡れたような黒い瞳と不満げに歪めてはいるが少女のような口元を持つ、見慣れないタイプの男だった。
「君のことは聞いてる。俺はアーメッド・アルナミ。国はサウジアラビア」
面倒くさそうにそれだけ言うとアルナミは押し黙り、さっきまでのように椅子にもたれた。 その態度にカチンときたが、はじめての場所に緊張していたサイードは仕方なくその場に立ったまま「よろしく」と挨拶した。

シラけた空気のまま5分ほどすると、奥から店主らしき男が出て来て顔中に愛想笑いを浮かべて言った。
「いや、お待たせしました、ちょっと手が混んでてね。じゃあそっちの男前のお兄さん、先に撮っちゃいましょうか」
アルナミはノロノロと立ち上がると、店の一角に作られた撮影セットの椅子に移動した。店主は照明をつけるとファインダーを覗き込み、顔の角度や目線などいくつか注文をつけていたが、相手にさして協力する気がないのがわかると適当にキリのいいところでさっさとシャッターを切った。
「じゃ、次はボク、こっちへ」
なんであいつが「男前」で俺が「ボク」なんだとサイードは頭に血がのぼり、椅子に座るとアルナミと正反対にまっすぐ胸を張ってポーズをとった。

「いいねえ、若い人たちは世界中旅行ができて。わたしなんか一度も飛行機に乗ったことがないんですよ」
撮影が済むと店主は愛想を言いながら何かのメモと鍵をアルナミに渡した。アルナミはそれを受け取り確認すると、アゴをしゃくってサイードについてくるようにうながし外に出た。 黙り込んだまま30分ほど歩くと、アルナミはふたたびズボンのポケットから取り出したメモを見て細い路地に入り、古ぼけたアパートに着いた。そこは彼らに用意された住まいらしかった。
写真屋に渡された鍵で建て付けの悪いドアを開けると狭い室内にはすでに簡単なベッドや家具がそろえてあったが、アルナミはそれらをろくにチェックしようともせずに埃っぽいソファに腰をおろした。
「君も座んなよ」
相変わらず目も合わさずに言われたが、サイードはすでに、こいつは人に気を使うような神経を持ち合わせていないのだと思い込んでいたために意外なかんじがして、とりあえずアルナミの隣の空いた場所に座った。

「きのうまでいたとこは大勢だったんだ。しばらくは2人暮らしみたいだな」
「ここで何を?」
「指示されたとおりにするだけだ」
「きのうまでは、その…君は」
「アーメッド」
「きのうまではアーメッド、何をしてたの?」
「訓練さ、あと、悪魔についての勉強」
「勉強って?」
「悪魔の言葉だよ、あとは悪魔に化ける方法。俺たち悪魔になるんだ、面白そうだろ」
「悪魔って?」
「決まってるじゃないか。USAだよ」

その晩から、素性の知れない教師による英語の特訓がはじまった。昼間はパキスタン軍の施設でひたすら訓練と筋力トレーニングに明け暮れた。サイードはタリバンのキャンプで厳しい訓練は慣れっこだったが、ここで叩き込まれるナイフや素手で格闘するという新しいパターンの戦法はかなり高度で、一日の終わりにはシャワーで汗を流すのも難儀なほど疲れ果 てていた。しかしそんな時間に必ずアルカイダのメンバーがやってきて、イスラムの世界に悪魔がいかにして入り込み破壊してきたかの講議がはじまるのだった。
時々、やって来たメンバーはアルナミを連れてどこかへ出かけて行った。サイードは「先輩」であるアルナミには何か他の任務があるのだろうと思い気にもとめなかった。というより、その頃には鉛のようにヘトヘトになっており、何かを考える余裕もなく眠りについてしまうのだ。

深夜に出かけた翌日にもアルナミはいつもと変わらずハードな訓練をこなしていたが、ある日一度だけ、トレーニング中に具合が悪くなったことがあった。彼は蒼白になってベンチにへたりこむと、駆け寄よったサイードにあっちへ行けという手つきをしたが、サイードはかまわず背中をさすってやりながら声をかけた。
「だいじょうぶ?」
「…だめだ、きもちわりい」
「ゆうべも遅かったろ、無理しすぎだよ」
しかし、10分も休むとアルナミはまたトレーニングに戻り、引き止めようとしたサイードを制するとまだ青い顔をしながらつぶやいた。
「立ち止まるとやばいんだ、墜落しちゃうから」
サイードはその意味はわからなかったが、見かけと違って根性のあるやつだと、アルナミを見直した。

そして数カ月たったある日の朝、突然やってきた迎えの車に乗り彼らは空港へ向かった。「悪魔の国USA」へ出発する時が来たのだ。出国手続きを済ませると、手持ち無沙汰な待ち合い室でアルナミは言った。
「よく見ておきなよ」
「えっ?」
「俺たち、また飛行機に乗るから。よく見ておきな」
「えと、飛行機を?」
「…慣れておくんだ。すべてのことに。いざという時あわてないためにさ」

 

注)サイード・アルガムディは、ほんとはサウジアラビア人です。

 



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