祝福の街 #1 屋上のスタジオ


オーバードライヴを過剰に効かせたエレキギターの音がハウリングを起こし、一本の太い線となってスタジオの空間をつらぬ いた。潤がふざけて黒いストラトキャスターのアームを動かし、まぬけな余韻をつくって思わせぶりに笑うと、ドラムスのノブがわざとリズムを崩してオチをつけた。

「ブラディシープ寄ってかない?」
川口がベースをケースに納めながら言うと、潤は乗り気ではなさそうに答えた。
「俺は帰る。期末の勉強しなきゃ」
「またあ、どうせせんずりコいて寝るんだろうが。いいじゃん、明日は日曜だし、シゲオさんも顔出すって言ってたよ」
スタジオのメンバーたちは、それぞれ他のバンドやフリーで活動しており、ここには遊び半分のセッションとして不定期に集まっていた。潤は常連だった楽器店で知り合った連中と平凡なロックバンドを組んでいたが、ライブハウスでよく対抗バンドにあたったノブにさそわれてこのセッションに参加するようになり、今では自分のバンドはそっちのけになっていた。シゲオという男は彼らの界隈ではカリスマ的なバンド「ヘヴン」のリーダーで、黒人とのクォーターの精悍なルックス、渋い低音のヴォーカルに独特のギターのセンスで、潤にとっても憧れの人物だった。

「へえ、シゲオさんに会えるなら行こうかな」
オーバードライヴやワウワウなどのエフェクター類やシールドを無造作にリュックに詰め込み、ギターを抱えてメンバーよりひと足先に表に出た潤は、手すりから身を乗り出して夜の街を眺めた。スタジオは渋谷の中心から少し外れた雑居ビルの屋上にある、簡易なプレハブ小屋に防音設備をほどこしたものだった。ビルのオーナーは60年代のヒッピームーブメントを体験し、膨大なレコードのコレクションを披露するためにロック喫茶まで経営する趣味人で、気に入ったミュージシャンたちを手許に集めておくためにこのスタジオを開放している。ここに出入りできるということは、潤のように途中から仲間に加わった「ボウヤ」たちにとっては、鼻が高いことだった。

突然、うしろから抱きかかえられて手すりから落とされそうになった潤がふりむくと、首からタオルをかけたノブが笑っていた。
「勉強しないで夜遊びばっかりしてると、落としちゃうぞ」
「やめてよ、リュック重い。マジで落ちちゃう」
「お、ノブ、手伝ってやろうか」
川口も自分のベースを置くと、ノブに加勢して潤をもちあげた。
「潤、いい眺めだろう、お月さまに近くなったぞ」
「あー、ほんとだ、もう少しで月まで行けそうだ。もっと高くして」
「せえので飛ばしてやるか、ほら、せえの!」
「悪ふざけしてると危ないぞ、やめとけ」

最後にスタジオの鍵を締めながらメインギターのナベが言うと、ノブと川口は笑いながら潤を下におろした。ナベはアイドルタレントのバックなども務めるスタジオミュージシャンで、ギターのテクニックは仲間内でもダントツだった。しかし、こじんまりまとまってしまった自分のスタイルにコンプレックスを持ち、潤の、稚拙ではあるがまだ型にはまっていないフレーズを好んで、何かとアドバイスをくれるのだった。結局全員で下北沢にあるクラブ「ブラディシープ」に向かう道中でも、彼は潤にギター談義をもちかけ、10才も年下の潤が背伸びして答えるセリフをいちいちからかって、他のメンバーの笑いをさそっていた。

「ブラディシープ」は井の頭線の線路沿いにある、表から見たら営業しているのかどうかもわからないような、小さなクラブだった。看板も出さず、黒いペンキの剥がれたドアに白いマーカーで「BLOODY SHEEP」と殴り書きし、それも雨ざらしで判読できないような状態だった。元々は暗黒舞踏劇団の収入源と拠点を兼ねてはじめたクラブだったが、その劇団が解散した後に関係者だったプロデューサーが管理を引き継いでいた。きしんだ店のドアを開けると、30帖程の細長いスペースに煙草の煙がたちこめ、カウンター席に座っていた数名の客がこちらを振り向いた。ここで会うのは、たいていは顔を知った相手だったが、先客たちもライブの打ち上げなどでよく出くわす連中だった。

 

 

「おう、ナベちゃん、ひさしぶり」
「あれ、松崎さん、こないだはどうも。あの記事どうなった?」
ナベはくたびれた業界くずれ風の中年客の横に座ると、バーテンのユキに自分のボトルを出すように告げた。潤たちは壁際に並んだボックス席に腰をおろすと、ノブが店内に流れる音楽のボリュームに負けじと大声で飲み物を注文した。
「ユキさん、俺らはジントニック、潤には牛乳あげて」
「まじスか?俺にも飲ませてよ」
ノブは不満げな潤の頭をこづいた。
「だめだぞ、成長期に栄養とらないと、あのおっさんみたいになっちゃうからな」
ノブが指差したのは、ナベと話し込んでいる松崎だった。松崎はこちらの視線に気づき、大袈裟な猫なで声で言った。
「あらまあ、今日はバンビちゃんも一緒?おじさんとカンパイしよう」

バンビと言われてなおさらムスっとしている潤の前に、ユキが牛乳の入ったコップを置いた。ノブと川口が自分たちのジントニックをこれ見よがしにかかげ、松崎に向かって乾杯するそぶりをすると、ふてくされている潤のコップに、ナベが自分のボトルからマイヤーズ・ラムを少し注いだ。
「ミルク&ラム、特製カクテルだ。こっちの話は終わったから、おじさんとカンパイしておいで」
底にラム酒のたまった牛乳のコップを手にナベの座っていた椅子に移動すると、松崎はすかさず潤の肩に手を回して言った。
「潤ちゃん、元気だった?ロフトのイベント以来じゃない。でも、相変わらず悪いコだなー、高校生がこんな時間に」
「まだ10時だよ」
「もう10時でしょ。だめだよ、15や16のぼうやが」
「17です」
「あれ?もう17になったんだっけ?それにしても俺の半分以下か。いいねえ、若くて」
「あのさ、前から思ってたけど、松崎さんってロリコンでしょ」

潤の言葉に、店内に一瞬気まずい空気が走った。松崎は小さな出版社を経営していて、部数は少ないがマニアックな音楽雑誌を発行している。店に出入りするバンドや演劇関係者は、自分たちの活動の紹介をしてもらえる貴重なスペースとして、また、記事や情報などを提供すると気前よく報酬がもらえたので、便利な小遣い稼ぎとして、松崎の存在を重宝していた。松崎は俗っぽくさえない小太りの中年男だったが、妙に目ざとくウケる人物や話題を収集する能力に長けていた。取り巻き連中も、内心は松崎を小馬鹿にして利用しているフシもあったが、いちおう「業界人」として一段上に置いてつきあっていた。

「ショタコンって言うんじゃないの?潤ちゃん男だから」
松崎の横から連れの営業マンが口を出した。
「ショタコン?なにそれ?でもようするに、松崎さんて変わってるよね」
潤のグラスを自分のマドラーでかきまぜていた松崎は、笑いながらそれを手にすると潤の口元に運んで言った。
「ほら、余計なこと言ってないで、かけつけ一杯。飲んで飲んで」
ラム酒が溶け込んでベージュ色になった牛乳を半分ほど飲み干すまで、松崎はコップを潤の口から離さなかった。その後カウンターのティッシュをとって唇に残った牛乳をふきとってやろうとしたが、潤は顔をそむけて自分の袖で唇をぬ ぐった。それから肩にまわした手でひきよせられ、松崎の胸にもたれかかる形になったが、そっぽを向いてそのままでいるとバーテンのユキが声をかけた。
「CD終わったけど、なにかリクエストある?」
「アンパンマンの歌かけて」
皮肉っぽく言った潤の声に、店内の客がどっと笑った。

 

 



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