2人はワインを一気に飲み干した。が、とたんにシゲオが笑いだし、潤の手からグラスを取上げると言った。

「冗談だよ、潤ちゃん、おしおきだよ。ただの胃薬だよ」

潤はしばらくポカンとしていたが、ようやく状況を飲み込むとスタジオを飛び出し屋上の手すりに手をかけた。追いかけてきたシゲオは手すりを乗り越えようとしている潤を思いきり引きずり落とすと、息を荒げて言った。

「なあ、なあ、約束しよう。こんな馬鹿なことに、もうつられるな」

呆然と床に転がっている潤に覆いかぶさるようにしてシゲオは繰り返した。

「約束だよ、俺は生きたいし、生き抜いてやる。だから潤ちゃんも生きてくれ」
「……俺も、冗談だよ。冗談だって、わかってたよ」

ようやく口を開き潤は起き上がった。

「痛え、ケツ、ぶつけちゃった」
「朝美とは別れないよ。朝美にふさわしい男になってみせるぜ」
「朝美さんとも約束しなよ。でも今日みたいなやり方でやったらひっぱたかれるよ」
「そ、そうだな、悪かった、おまえもひっぱたきたい?」
「俺はいいよ。おしおきされる自覚あるもん。シラけちゃった。帰る」

 

 

それが、シゲオと会った最後の日になった。それから数日もたたないうちにシゲオは死んだのだ。死因は酔いつぶれて眠って吐いたものによる窒息死だった。あまりにも情けない死に様に、回りは肩透かしをくらったようなものだった。そして情けなさに追い討ちをかけたのは、死んだのが誰も知らない女のアパートだったことだ。

葬儀には、アンダーグラウンドのミュージシャンの死にもかかわらず全国から3万人以上のファンが訪れテレビニュースでも取上げられ、あらためてシゲオのカリスマ性を認識させられたが、シゲオをよく知る仲間たちは複雑な心境だった。

会場で潤が献花待ちをしていると、そっと朝美が近づいてきた。

「内縁の妻ですって」

朝美が示した方向には親族の席があり、シゲオの母親らしき年老いた女性と、見ず知らずの、バンド関係に出入りするようなタイプにはとても見えない所帯じみた地味な30才くらいの女性がうなだれていた。

「おなかに、赤ちゃんがいるんですって。シゲオの赤ちゃんよ。よかったわね、シゲオは、この世に血を残せたのよ」

気丈にここまで言うと朝美の顔はみるみる歪み、泣き崩れた。

「悔しい」

胸にすがる朝美の両手を、潤は握りしめて言った。

「シゲオさんは、朝美さんを一番好きだったよ」
「誰のことも一番好きなのよ、シゲオは。そういうやつなのよ」
「うん、でも、朝美さんは特別だったと思うよ。順番回ってくるよ。一緒に献花しよう」

白いカーネーションを手に棺の前に立つと、眠ったような顔のシゲオがいた。潤はシゲオの胸に花を置き、小さく合掌した。朝美は嗚咽し体を震わせながら、ようやく献花をし、シゲオに向かって小さく「バカヤロウ」とつぶやいた。

会場を出るとそこここに仲間達がだべっていたが、何か遠い風景のように思えて、潤はこの場を早く立ち去りたかった。ただ、朝美のことが気掛かりでいると、朝美はそっと潤の小指を掴んで言った。

「もうおしまいね、全部、終わったのね」
「うん、終わったね」
「潤ちゃんとも、もう会うことはないのかしら」
「そのほうがいいっしょ。会うたびにシゲオさんのことを思い出すのはつらいっしょ」
「でも、つらくなくなったら…なつかしいと思えるようになったら、 ブラディシープに、潤ちゃんまだいるでしょ?」
「うーん、わかんない、学校があるし、受験もいちおうあると思うし」
「そっか。でもいつかは大人になった潤ちゃんに会えるといいな」
「ありがとう。俺もおばさんになった朝美さんに会ってみたいな」
「あっ、言ったわね」
「よかった。少し調子出たね。じゃ、ほんとに、さよなら」
「ええ、さみしいけど、さよなら」

朝美の長い髪が日に透けて風に流れていた。泣いて化粧の落ちた朝美の顔を見るのは、そういえばこれで2回目だな、と思った。

 



 

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