フロリダの地図


フロリダの地図がボロくなってきた。本物の地図じゃなくて、そのへんの旅行会社のパンフレットもらってきて切り抜いたやつなんだけど。

パンフレットには写真がたくさん載ってる。フロリダは海も空も、明るい透き通 った青。透明な色って、色なのかな、光なのかな。砂浜で青がだんだん溶けて、波のふちどりがハンカチについてるレースのはじっこみたいだ。そんな海できれいな水着を着た人たちが泳いだり、ビーチパラソルの下でフルーツがいっぱいのっかったアイスクリームを食べてる。

街には大きなホテルとかショッピングセンター、ディズニーワールドもあるよ。フロリダにはリタイアした人たちが引っ越して住んでるから、お年寄りもたくさんいる。おじいさんと おばあさんが仲良く手をつないで買い物したり、自分ちの大きな庭でくつろいだりしてる。庭にはパームツリーの木陰ができていて、木漏れ日と緑のモザイクになった芝生で、犬が昼寝してる。フロリダの写 真にうつっている人たちはみんな笑顔だ。その人たちを見ると、俺も楽しくなる。

デルレイビーチの場所に俺はボールペンで印をつけて、ここからどの飛行機に乗って、どうやって行くのかなとか想像してる。行けるわけないけど、想像するのは楽しいから。天気も調べた。夏は暑くて雨が多いんだって。だからフロリダの観光シーズンは冬なんだって。

あいつがデルレイビーチにいたのは夏だった。ハイジャックするために体鍛えてたらしいから、雨の中走ったりもしてたんだろうな。あんな、自分も他人も殺すテロなんかのために、よくやるよ。あいつはきっとガンコなんだ。貧乏育ちだっていうけど、あいつの国はお金持ちだった。億万長者にはなれないしくみになってるけど、がんばってちょっとはマシくらいの生活できるようになって、のんきに暮らしてたってよかったのに。それとも抜けだせないくらいの貧乏だったのかな。あいつんちのあたりは国境でもめて紛争もあるし、貧乏は底なしだっていうから、それで人生まちがったのかな。

あいつの育ったサウジアラビアのアブハってとこはすごくきれいな高原で、フロリダみたいに観光地なんだって。国中からお金持ちがやってきて、アメリカ人みたいな暮らしをしてる。アブハの写 真も見たよ。街はたいしたことないな。でも深い緑の山脈と、水草の茂る澄んだ湖みたいのがあった。鏡みたいな湖面 は空と水底の青がまじった宝石みたい色で、そのほとりには白くて長い衣装を着た人たちが一列になって歩いていて、なんかそのまま天国に昇っていっちゃうような風景。

サウジアラビアにいた時、あいつは宗教に凝ってたみたいだ。とはいっても、へんなのじゃなくてイスラム教っていう立派な宗教だけどね。 イスラム教ってまじめにやると大変そう。決まった時間に毎日何度もお祈りをしたり、食べ物も、着るものも、生活も、ぜんぶ決まりがある。それをすすんでやろうなんて気持ちは、俺はちっともわからない。でもあいつは、将来はモスクの聖職者になりたかったんだって。

まえにテレビで見たイスラム教の聖地メッカでは、大きな聖堂に白い服を着た人たちがおおぜい集まって、ひざまづいてお祈りしてた。あの中にあいつがいるところなんて想像つかな いな。だって俺のイメージは、ニューヨークの世界貿易センターとかペンタゴンに飛行機が突っ込んでる映像と、新聞に載った、なんだかふてくされた人相悪い写 真だもの。あいつの飛行機だけペンシルバニアに落っこちたけどさ。中途半端なやつ。ていうよりも、極端なやつなのかな。なんで聖職者志望がテロリストなんかになるんだろう。

 

 

俺はいまアメリカにいる。来たくないのに連れてこられちゃったんだ。もともとあんまり友だちいなかったけど、こっちに来てからほんとに一人だ。英語ヘタクソだから新しい友だちもできなくて、来た頃はまわりに当り散らしてばっかりいた。ちょっと外に出たって何するにも通 じないから、人と目を合わせないようにいつも下向いて歩いてた。でもほんとは、話しかけてくる人はみんな親切にしてくれようとしてるのもわかってる。日本にいた時より、ほんとに親切な人が多いよ。ドア押さえててくれたり、買い物して落とした小銭が棚の下に入ってとれなくなっちゃった時、もういいって言ったのに、まわりのお客さんが店の人に交渉して落としたぶんレジから返すようにしてくれたり。こないだはCD買ったら店のお兄さんが俺の肩組んできて、その中の曲歌ってニコニコしてた。

サウジアラビアで何があったのかは知らないけど、あいつはなんでか自爆テロをする決心をして、5月ごろフロリダに来た。そして自分が何者かバレないように、ふつうのアメリカ人と同じように暮らしていたらしい。でも、英語ヘタだったみたい。飛行機乗るときの偽名見て笑っちゃったよ。なんか名字を分けて一文字ひっくりかえしただけ。こんなへんな偽名 使って不審に思われたらどうすんの?体ばっかじゃなくて頭も鍛えろよ。

だけどそれを知って、俺はなんだか安心したんだ。あいつは不愛想で近所の人の評判悪かったみたいだけど、俺もエレベーターで誰かと乗り合わせた時なんか、話しかけられないようにシカトしてるもん。はじめはなんだか悪いなーとか思ってたけど、その話を聞いてから、あいつもじつはこんなオドオドしたかんじで不愛想に見えたんじゃねーの?とか思って、可笑しくなっちゃう時があるよ。誰かに親切にされた時も、どうしていいかわかんなくてムスっとしてたかもしれないよ。

でもなんで俺はあんなテロリストのことがこんなに気になるんだろう。はじめにCNNのニュースで同時多発テロを知った時は、まじでやばいと思った。なにが起きてんだ、これ現実かよ、ここだいじょうぶかなって。ニュースも英語で意味わかんないけど、その日は1日中テレビに釘付けだった。ちょっと落ち着いてきてから自分の乗ってる飛行機がハイジャックされたらどんなだろうなんて考えて、その時想像のなかで俺の飛行機をハイジャックしたのが、写 真で見たあいつだったんだ。

ここに来た時に乗った飛行機のことを思い出しながら、あいつにナイフで脅かされたり、ちかくにいた人が殺されたり、飛行機がガタガタ揺れて落ちていくところまで、俺は何度も想像した。それでへんなことに気づいた。なんか、そうやって死んでもべつにかまわないかな、死にたいとかは思わないけど、どうしても死にたくないってこともないかなって。

でもそんなの、犠牲になった人への冒涜じゃん。墜落した飛行機には日本人の学生もひとり乗ってたって。じゃあ俺がそいつと代わってあげられたかっていえば、そんなのできないじゃん。 なのに俺は、どうしてもハイジャックの妄想が止まらない。時々あいつと一緒にハイジャックしたり、俺があいつになってハイジャックしてるところを想像して、最後に爆発して死ぬ ところでは、なんだか懐かしいような、きれいさっぱりなくなって清々しいような、妙な感覚に陥るんだよ。

そんな自分が、俺は嫌になる。だからあのテロをキチガイの犯罪だったことにして、忘れたい。なのに、ニュースなんか見てて親父があいつらを最低扱いするとむかついて、つい反発してしまう。あいつらだってなにか理由があったんだ、死ななきゃものが言えないくらい追い詰められてたんだって。でも親父の答えはいつも一緒、「世界中がひとつの経済になろうとしている時代に、自分たちだけの世界で暮らしたいなんていう言い分は通 らない。孤立することは彼らのためにもならない」って言うよ。じゃあ、孤立させないために犠牲を出していいのかって聞くと、渋い顔して、世の中は、おまえみたいに単純じゃないって。それから必ずあの事を引き合いに出 して言う。

「わがままが通らないからって人殺しをするのは犯罪だ」

 

 

あの事っていうのは、小学校の時、俺がやった事件のことだ。学校の飼育小屋でパンダうさぎが赤ちゃん産んだんだよ。うさぎって子どもを産んだばかりの時は神経質になってて、そっとしといてやらないと子うさぎを放棄しちゃうの。だから先生が注意したのに、飼育当番のやつがみんなを小屋に入れて、箱の中にいた子うさぎをひっぱり出していじくりまわしたおかげで、次の朝学校に行ったらパンダが自分の赤ちゃんをぜんぶ押しつぶして殺してたんだ。

俺は頭に血がのぼって、帰り道で待ち伏せして飼育当番を石で殴って頭を2針縫うケガをさせた。もう、その後は大騒ぎだったよ。子うさぎをおもちゃにしたとこまでは、飼育当番と、そいつと一緒にいたやつらが悪いってことは誰もが一致した意見。でも、その後俺がやったことは大犯罪。反省会で何度も吊るし上げられて、親はあやまりに走り回って、親父にむちゃくちゃひっぱたかれて、もうさんざんだった。しばらく学校は行けなくなるし、中学に入ってからも気味悪がられて、いつの間にか俺があちこちの学校に忍び込んでうさぎを殺して歩いたことになってるし。

でもあいつならわかってくれるような気がするんだ。あのうさぎたちをあいつの世界だとしたら、なんか、あいつのところで起きてるのは似たことのような気がする。あいつの国は石油がとれるけど、100年前まではそんなことも知らずにアラーの神様を信じて静かに暮らしてた。そこにアメリカが入ってきて、石油を一人占めした。それはないよーってことで、50年もたってからアメリカは分け前の半分を国に払うようになったけど、そしたらこんどはそのお金で王様たちが贅沢をするようになって、もうアメリカとのつきあいがなくては成り立たない国になってしまった。

だけど石油はいずれなくなる。あいつの国はだんだん貧乏になってきて、アメリカに見捨てられようとしている。あいつの国だけじゃない、イスラムの国々はときたま石油の上にあったもんだから、よってたかって奪われて、もうボロボロなんだ。

あいつはそんなふうになってしまった自分たちの世界をどうしていいかわからなくなって、キレたんだ。馬鹿なやつだよ。悩んだことも考えたことも、いつかは答えが出るかもしれないのに、さっさと絶望して全部終わりにしちまった。

 

 

だけど俺だって、ほんとは答えなんてもってない。どうしてって思うことばっかりで、考えが追い付かなくて、いつもイライラしてる。自分が苦しいのは他のやつらのせいだって決めつけて、わかってくれないなら死んじまえとか思ってる。

このあいだもインターネットで憂さ晴らししようとして、みんなが仲良く話してる掲示板に割り込んで因縁つけたりした。俺はずっとそこで正しいことを言ってるつもりだったのに、ぜんぜん通 じないから暴れてやった。でもわかってたんだ。自分が汚い言葉を吐くと、その何十倍も何百倍もの汚い言葉でまわりは埋め尽くされる。みんなが罵倒する俺は、まるで俺じゃないやつみたいだ。姿の見えない俺に、人はそれぞれの憎しみの対象を投影するから、いつのまにか悪魔みたいなキチガイができあがってる。

キチガイにされた俺は不思議にも安心する。もう誰にも気兼ねしないで、言いたいことが言えるからだ。それから、自分への罵声を何度も読んで、書いてあるとおりの醜くて情けなくてわがままな俺に憧れる。そうなればもう、誰かを好きになったり、誰かから好かれる必要はないから。孤独って居心地がいいんだよ。そこは自分だけの王国。もう誰かと自分を比べて落ち込むこともないし、悲しいこともあせることも、怖いこともない。ただ何も考えないで、一人で眠りこけているような世界だ。

じゃあなんで俺はいまだに孤独にひたろうとしないで、顔も見えないやつらになんかすがりついて、ちょっかい出してるんだ。俺はたぶん、まだ世の中が好きなんだ。フロリダの写 真の人たちを見て楽しくなるように、みんなと笑ったり遊んだりしたいと思ってる自分がどこかにいる。 でもあいつは、そんなふうに思えなかった。本物のフロリダの風景を、あいつは皮肉で冷ややかな視線で見ていただろう。あいつが憎しみに満ちていたから世界も憎しみに満ちたものに映ったのか、世界があいつを憎んだから、あいつも世界を憎んだのか。生まれる場所が違っていたら、俺もあいつになってたのかな。

 

 

パソコンのモニタが汚い言葉で埋めつくされ、手におえなくなって回線を切っあと、疲れて意味もなく泣きたい気分になって俺はベッドに転がった。そしてまたいつもみたいに、フロリダの地図のデルレイビーチのところを指でなぞって、ため息をついてる。どうしてあいつに会えないんだろう。ただほんの少しだけ一緒にいて、「わかるよ」って言ってもらいたいだけなのに。そして俺からも、そう言ってやりたいだけなのに。

俺はあいつの顔を思い浮かべた。暗闇のなかにあの写真の顔が浮かんできた。あいつは死んでるから、想像の中では青白い顔をして目を閉じてる。月の光に照らされているような冷たい頬をして、少しも動かないでただそこにいる。俺はあいつの姿が消えてしまわないうちに、急いで話しかけた。

「俺んとこ、みんな君のこと犯罪者って言ってるよ。なんであんなひどいことしたのよ」
あいつは、目を閉じたまま答える。
「世界はバラバラなんだ、どれが犯罪で何がひどいかなんて、俺にもわからないよ。ただ俺は俺のジハードをやっただけだ」
「じゃあ、自分がバラバラになってどんな気分よ。そんなんで良かったのか?」
「いいよ、俺は体が邪魔だったから。どこかに存在しなきゃいけないってのがうざかったから」
「なんで存在するのがうざいの?生きてりゃいいことだってたくさんあるじゃん」
「俺たちの世界にはもう道がないんだよ。神の時代に戻るか、おまえたちの世界と融合する か、どちらかしかないんだ。自分自身が存在するまえに、まずそれを選ばなきゃいけないんだ」
「じゃあこっちを選べよ。友だちになろうよ」
「無理だな。おまえたちの世界は戦争の世界だ。俺たちの家を破壊する」
「それ、ずっと知らなかったんだ。俺でよかったらあやまるよ。だから友だちになってよ」
「俺からはおまえが見えないしさわれない。声も遠くで聞こえてる。そんな友だち同士はいないよ」
「そこはどんなとこなの?」
「わからない。でも天国じゃないことはたしかだな」
「君は天国に行くために殉教したんじゃないの?いいザマだな、やっぱり犯罪者だよ」

俺はどうしても会えないことにイライラして、あいつにやつあたりする。
「君が地獄におちたらザマアミロって思う人いっぱいいるよ」
「いいよべつに。地獄なんてないから。ほんとは天国だってあるとは思ってなかったんだ」
「じゃあ、そこはなんなのよ」
「人間は、自分の魂にふさわしいところに行くんだ。泥棒は泥棒の魂ばかりのところに、聖者は聖者の魂ばかりのところに。俺はここで誰にも会ってない。だから俺の魂がどんなもんかはまだわからない」
「…いい魂に会えるといいな」
「まあな。でもなんとなく、もう誰にも会えないような気がする」
「……君は、ほんとは自殺したんだ。そうだろ?」
「よっぽど俺を地獄に落としたいらしいな」
「君が地獄に落ちていてくれたら、俺はラクだよ。君のことなんか考えなくてすむから」
「じゃあそうしなよ。それでいいんだ。俺のことは忘れろ」
「アーメッド・アルナミ。覚えてるか?君の名前だよ」
「ああ、……でもそろそろ、その名前は忘れたいな」
「俺もこのごろ、君の名前が口に出せなくなってるんだ。なんでだろ」
「………」
「名前を呼ぶのはこれでさいごにするよ。アーメッド・アルナミ、生まれてきてよかったと思ってる?」

答えてくれないで、あいつは行っちまった。俺は自分の部屋で、また一人で考えてる。フロリダの地図、はじっこが破れてきたし折り目がついちゃったから、新しいパンフレットもらってこようかと思ったけど、もうやめようかな。

俺んちの窓から、ニューヨークまでとはいかないけど、ちょっとした摩天楼が見えるんだ。空港が近いから飛行機も年中飛んでる。夜、ベランダに出て眺めてると、まだ低空飛行のときの飛行機のライトって、なにか潤んだ、バッテリーを積まれて永久に光ることをやめられない蛍みたいに見える。それ見てるといつも、子供のころに読んだ「星の王子様」を思い出すんだ。

星がきれいなのは、どこかに井戸を隠してるからなんだって。ぜんぶの星に同じ井戸があったら、星を見てきれいだと思うことはなくなるのかもしれないよ。俺たちは砂漠のなかで、ひとりぼっちで井戸を探しているようなもの。きっとどこかにあると思うから、はいつくばって、がんばって探すんだ。でもあいつは、この世には自分の井戸がないって、あきらめちゃったのかもしれないな。

俺は自分の井戸を見つけられたら、あいつのぶんも探してみたい。そしてあいつに、水を飲ませてやりたい。 それから俺は、あいつが黙ってた質問の答えを自分で考えなきゃいけなくなったから、やっぱりもうフロリダの地図は引き出しにしまおうと思ってる。

 



2001.12.26■■

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