競馬雑記帖

NO.20 何とかしたい本物の“匠”たち

小生の友人に「竿治」という和竿師がいる。「東作」、「竿忠」と並ぶ“江戸三大竿師”の四代目である。御歳68歳(昭和10年生まれ)、四代目を継いで今年(平成16年)で丁度30年になる。

ひょんなことから知り合い、かれこれ20数年の付き合いになるが、本当に“いい仕事”をする。本物の匠である。これまで数本の竿を作って戴いたが、いつも貧乏人価格で分けて戴き頭が上がらない。小生が金持ちなら、それなりのこともできるのだが、財には無縁な性格、まだまだ迷惑をかけそうである。

その「竿治」師匠に跡を継ぐ弟子がいない。最近、外に数人の“門弟”ができ、月何回か無償で教えているとか。中に高校生の“弟子”もいるそうで、師匠の技を少しでも継承してくれればと思う。

この国は、本物の匠には、まことに住み難い。師匠の仕事場を訪ねる度に涙が出る思いをしている。小生同様、財には全く無縁の生活。その技に値する生活ができないものなのか。誰とはいわないが、竿師の中にも世渡りに長けた者もいる。そうした人たちの中には稀に“いい生活”をしている者もいるが、まさに稀な存在である。

 

和竿は、いわゆる芸術品ではない。魚を釣ってなんぼのものである。しかし、昨今カーボン製のアユ竿の中には数十万円の値段が付いているものすらある。技に見合った値段がついてしかるべきであろう。それには、和竿を使う人が増えなければならない。丈夫さのみが必要とされる沖釣り竿などは、カーボン竿のほうが向いているが、少なくとも川釣りの世界で、和竿の釣り味を覚えたら、その虜になること請け合いである。とにかく1度、和竿を使って戴きたい。問答無用のよさが分かってもらえるはずだ。

その昔、竿師の師は武士の士をあてていたそうだ。「それがいつの頃からか詐欺師の師になっちまったのかね」、と師匠と初めて逢った時、そう言って笑っていた。

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