競馬雑記帖

NO.41  寂しくなる2007年の古馬戦線

シンザン、ハイセイコー、マルゼンスキー、オグリキャップ、シンボリルドルフ、ナリタブライアン…名馬と呼ばれた馬たちは数多い。それらの馬たちが引退したときにも一抹の寂しさを覚えたものだが、「翌年の競馬がつまらなくなる」と感じたことはなかった。しかし、今回のディープインパクトの引退は、過去の名馬の引退とは、比較にならない程、大きなダメージを受けた。それは、小生だけの思いではないはずだ。

 

「有馬記念」の結果報告でも書いたように、2007年の古馬陣は、今後、どんな強い勝ち方をしたとしても「ディープインパクトがいれば…」と言われ続けるだろう。日本馬で唯一、彼に勝ったハーツクライが引退した今、ドリームパスポート、ダイワメジャー、メイショウサムソン、ポップロックら、2007年の古馬戦線の主役になる馬たちは、彼に全く歯が立たなかったのだから。

 

それでも競馬は続く。競輪、競艇、オートレースと競馬と同列に称されるレースギャンブル、しかし、競馬とそれらのギャンブルが決定的に違うのは、馬という生き物が介在する点だ。そして、馬が生き物である以上、どうしても感情移入がなされる。ディープインパクトの有馬記念での単勝馬券の払戻金は120円だった。1.2倍である。100万、200万の大金を投ずる輩は別として、1000円、2000円で夢を買う庶民には、決して益のある馬ではなかった。それでも、有馬記念の日、最終レース終了後に行われた彼の引退式には、何と5万人ものファンが残って最後の声援を送った。

最近では、通常のレース開催日でも5万人ものファンが集まることは滅多になくなった。「競馬も随分と変わったものだな」というのが、小生の感想である。電車やバスの中で競馬新聞を広げているのが憚られた時代からの競馬ファンである世代には、ある意味“異様な光景”だったのである。

 

そんな小生でも、このように彼について何やかやと書き続けているのだから、同じ感情が芽生えているということなのだろう。これも何度も書いてきたが、小生が知る限り、これまで最も強いと思っていたのはマルゼンスキーである。彼は“マル外”という分類(外国で生まれ、日本に移入された馬)だったため、出走レースが大幅に制限された。しかし、その強さは際立っており、彼が登録するレースには、タイムオーバーを恐れる調教師たちが自厩舎の馬を登録せず、常にレース不成立が心配された程だった。当時、マル外馬はクラシックに出られず、ダービーも出走出来なかった。

彼の主戦ジョッキーだった中野渡清一騎手が、「28頭立て(当時は信じられない頭数でクラシックレースが行われていた)のさらに外枠でいい。賞金もいらない。他の馬の邪魔は一切しないのでマルゼンスキーを日本ダービーで走らせてほしい」と言って話題を呼んだ。結局、マルゼンスキーは、生涯、他馬に先着することを許さず、8戦8勝の戦跡を残し引退した

 

その後、何頭となく現れた名馬たち。しかし、唯の1度も“マルゼンスキー以上”と感じた馬はいなかった。だが、今回初めてそれを感じた。とくに最後のレースとなった有馬記念、今後もあのような脚を使う馬は、決して現れない気がしている。

 

2009年、彼の子供がターフに帰って来るが、果たして父に匹敵する、あるいは超える活躍をする馬が生まれてくるのだろうか。所詮、小生の勝手な思い込みなのだが、彼は種牡馬としては、成功しないだろう−と思っている。早過ぎる引退が残念でならない。

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