2004年07月03日

軍艦島クルーズ試乗会


軍艦島と呼ばれる長崎県高島町端島(はしま)。
長崎の人たちは、端島とは言わず、「軍艦島・・軍艦島」と呼ぶ。
戦艦"土佐"にその姿が似ていることからその名がついたとも言われている。

南北480メートル、東西160メートルほどの小島に、採炭最盛期には5千人を超える人たちが住んでいたという。
しかし、1974年(昭和49年)炭鉱閉山に伴い無人島となり、まるで時が30年前で止まってしまったように島は眠りつづけている。

私は、長崎生まれの長崎育ち。
遠く、海の向こうに浮かぶ軍艦島の姿は見たことがあったが、上陸はもちろんのこと、近くに行った経験もない。
今回、初めて、軍艦島クルーズというかたちで、島を間近に見た。
元々あった島の海岸をがっちりと固めたコンクリート壁に荒々しく波しぶきがかかっている。

島の周りをゆっくりと遊覧しながら、かつて島で暮らした人の話を聴いた。
圧倒的な迫力とリアリティ。物言わぬはずの建物が見る者にさまざまなことを訴えかけてくる。
日本の近代化を支えた石炭採掘の盛衰、人の手で洋上に造り上げられた要塞のような街の過去と未来。
ふと、島の存在の意味を考える。
きっと、そこで感じる価値は、ひとそれぞれ異なるのだろうと思う。
けれど、やっぱり間近に、軍艦島をその目で見たとき、さまざまな思いが交錯するのは間違いない。
”廃墟ブーム”という言葉で片付けられるほど、単純ではないさまざまなことが見えてくるはずだ。

冒頭、島は眠りつづけている、と書いたが、そのままの状態で眠っている訳ではない。
少しづつ、その身を崩しながら、ゆっくりと朽ちていっている。
さらに上陸禁止であるにもかかわらず、島に上がり落書きをするなど、人の心にずかずかと土足で入り込んでいる無法者もいる。

学校の屋上、目立つ場所に自らの名前を大きく記した落書き。
「私は馬鹿です。」と晒しているようなものだが、この島を造ったのも人間。汚すのも人間。なんだか悲しくなる。