2002年11月27日

凧あげ、独楽廻し

風情や季節感というのは、四季のある日本ならでは、のはずである。
 三寒四温などという言葉もある通り、単に暑い寒いでも季節を感じるし、それに応じて木々が色づいたりという自然の変化を見ていても季節感を感じる。
 食べ物もそう。旬というものがあって「走り(早生)」だとか「晩生(おくて)」など、多彩な表現がある通り、『これが食卓に上るようになると秋だね』、とか『春だね』とか感じる。

 ところが、現代では、寒かろうと、暑かろうと、ビルは気温管理されている。クーラーの効き過ぎたオフィスで風邪をひかないよう厚着をする。
 食べ物は、ビニールハウスでの栽培が当たり前となり、旬がいつなのかさえ分からなくなった野菜は山ほどある。

 で、年末年始の風情はどうだろうか。

 マスコミでは、この時期、年末年始の風情を色々と探すことになる。
 飛びついてしまうのが、サザエさんで描かれるあの「年末・年始の風景」である。

 しかし、よーく考えてみると、みんなが一斉に仕事を休み、みんなで一緒に新年を迎えた「あの時代」ではない事に気づく。

 いまや元日から仕事という人は沢山いる。
 昔、ひっそりとシャッターが閉まっていた商店街も、ここぞとばかりに初売り、初売りと賑やかだ。温泉宿だってゆっくり温泉で新年を、という人たちのために仕事仕事だ。

 そもそも年末の賑いは、正月は休み、製造業も流通も小売も、みーんな休業というのが前提で、つまり物が買えないからこそ、年の瀬に保存食をつくって年始に備えた訳で、元日からモノが買える現代ではわざわざそんなバタバタしようとは思わないのかもしれない。

 大掃除に追われる姿よりも、むしろ正月商戦向けに、福袋詰めに追われる従業員の姿こそ、現代の年末の風景なのかも知れない。