病院には珊瑚の姿はすでになく。
弥勒が昼過ぎに顔を出したときにはすでに退院してしまっていた。
頭を抱える男がここにひとり。
・・・・・うそだろ・・・・・?
珊瑚の退院予定の週末まではまだ数日あるはずだ。
そのときは自分がしっかりと家まで送り届けるつもりだった。
そうしてきちんと伝えようと・・・・
弥勒の心の中に後悔の思いが広がってゆく。
(まだ俺はなんにもお前に言ってないのに・・・・)
お前が大事だと。
お前だけが俺には必要なのだと。
このさきも俺のそばだけに居て欲しいのだ・・・・と。
しかし・・・・・何故だ?
珊瑚はなぜ何もいわずに黙って俺の前から姿を消した?
俺が送る、と伝えたときは確かに嬉しそうだったはずだ。
担当の看護婦に聞いても
「わからない」
と困惑していたようだったが。
ただ最後に俺に
「お幸せに」
という伝言だけを残して。
(お幸せに???どういうことだ?)
とにかく珊瑚に会わなければ・・・・・・
俺は彼女の自宅の住所を確認すると
再びバイクに飛び乗った・・・・
珊瑚は自宅の縁側にいた。
腰を下ろし庭の花々をぼぅっと眺めたまま。
もうどのくらいそうしているのか。
頬をなでる風も、ときおり鼻腔をくすぐる花の香りも今の珊瑚には何の意味もなく。
あたしはいったいどうしたらいい・・・・?
勝手に黙って退院して怒ってるだろうか?
ふ、と首をふって即座に否定する。
(あたしのことなんか気にもとめてなんかないよ・・・・・)
あれは全部戯言だから───
あの人にとってあたしはただの患者で。
大切な女性(ひと)はあたしの知らないどこかにいる。
そのひとだけに真実の言葉を投げかけて・・・・・。
あの腕の中にはあたしじゃない綺麗な誰かが・・・・・
(そんなのは・・・・・いやだ・・・・!)
・・・・・いやだ?
なんて勝手なあたしの想い。
こんなのあたしらしくないよ・・・・・
ともすれば零れそうになる涙をようやくこらえながら珊瑚は薄く自嘲する。
「もう先生には会えない・・・・・な・・・・」
「・・・・・・誰に会えないって?」
!!!・・・・・・まさか・・・・・・
少し不機嫌そうな顔をした弥勒がそこにいた。
「・・・・・・どうして・・ここに・・・・どこから・・・?」
「玄関から」
しれっと当然だ、といわんばかりに弥勒が返す。
「でっ・・・・でも・・・・」
「おお!弥勒君ではないか!」
背後から嬉しそうな声がしたと思うと、親しげにこちらに歩み寄ってくるのはあたしの父。
「ごぶさたしておりました師匠殿」
にっこりと弥勒が笑いながら頭を下げた。
えぇっ?どうしてお父さんと・・・?どういうこと???
「お前は知らないだろうが・・・弥勒君は私の古い友人の息子さんでな
よく合気道の演武会場では会っていたのだよ」
確かにうちは旧家であり父は合気道の道場の師範だ。
門下生も大勢いる。あたしも弟の琥珀もそうだ。
・・・・・・でもまさか先生まで・・・・・
いまだに目をまるくしているあたしに、先生は悪戯っぽく笑いながら説明してくれた。
「ここの門下生ではないのですよ。ときおり珊瑚君の親父さんが遊びにきたついでに
稽古をつけてくださってただけです。」
「そろそろ君も師範になってもおかしくはないだろう?」
自分の父とはいえかなりの実力者であるはずの彼が
そこまでいうほどの弥勒の腕前は相当なものであろう。
「いえ、師範よりも今は仕事がおもしろいですから・・・
その仕事のおかげでこうして珊瑚君ともお近づきになれましたし」
ちらっとあたしに視線を投げかけると、またなにもなかったかのごとく今度はなにやら差し出した。
「いい酒が手に入ったんで・・・・退院祝いにいかが、かと」
普段酒の相手がいないと嘆いている父にとっては大歓迎なことだ。
「それはありがたい!さぁさぁ遠慮はいらんぞ!今夜はとことん相手を願いたいですな」
屋敷に引っぱり上げんばかりの勢いに、弥勒は苦笑しながら今一度佇まいを正すと
真剣な面で向き直った。
「申し訳ないですが珊瑚君をしばらくお貸し願えますか?」
「珊瑚を?」
「は?」
・・・・・・今さらなんの話があるっていうんだ・・・
また沈んだ顔をしたあたしにはおかまいなしに尚も続けた。
「夕食までにはお返ししますので・・・」
晩酌の相手をしっかりと約束させられながら弥勒は
珊瑚の返事も聞かずに腕をとるとなかば強引に連れ出した。
あたしは言葉が見つからないまま黙って付いて行く。
無言でつながれた手の暖かさに戸惑いながら・・・
もどる すすむ