競馬雑記帖

NO.5  ブラックバスって本当に“害魚”?

“悪名”高きブラックバスは、大正13年(1924年)、赤星鉄馬氏によって神奈川県・箱根の芦ノ湖に移殖された。釣りものとしてのファイトもすばらしく、タンパク源(食用魚)としても価値が高い魚…。釣り人でもあり、実業家でもあった赤星氏は、「将来、ブラックバスは、釣り物として食用魚として必ず人気が出る−」と、近しい人に話していたと聞いている。ブラックバスは、その名の通りシーバス、つまりスズキの仲間。白身で癖がなく、実に旨い魚だ。芦ノ湖畔には、バス料理を食べさせてくれるレストランもある。

 

そのブラックバスが現在、極悪非道の「害魚」として各地で取り扱われているのは、何故なのだろうか。その最大の理由は、生きた小魚や小動物を食べるフィッシュイーターだからだ。しかし、それは移殖された当初から分かっていたことで、神奈川県が「県外持ち出し禁止令」を出したのもそのためである。

そして、移殖から半世紀近い時が流れた昭和40年代になり、ルアーフィッシングがブームになり始めた頃から、芦ノ湖以外の湖や池、あるいは河川などで度々ブラックバスが目撃されるようになった。この時点でも先の「県外持ち出し禁止令」は有効で、それらのブラックバスは、全てがいわゆる「密放流」であった。昭和50年代になると、ルアーフィッシングブームは、益々盛んになり、夜陰に紛れた「密放流」はますますエスカレートして、ブラックバスは、あっという間に全国に広がった。

 

昭和40年代前半、学生だった小生も外国製のルアーロッドとスピニングリールを買い、栃木県の中禅寺湖や川俣湖などに足繁く通った。当時はルアーも国産のものはほとんどなく、1個数百円から1000円以上もした外国製のルアーを買って、ロストするのを怖がりながら、キャストしていたのを懐かしく思い出す。しかし、それでも、というよりもそれだからこそ、とにかく魚が釣れなかった。勿論、腕が未熟ということも十二分にあるのだが、小生の“戦果”は、10数回の釣行でニジマス数尾(中禅寺湖)と銀毛のヤマメ1尾(川俣湖)のみ。それは小生だけが特別釣れなかったのではなく、その頃、トラウト類を対象にルアー釣りをしていたほとんどのアングラーがそうだったのである。

 

ところが、それから間もなくブラックバスのブームがやって来た。飽きっぽい小生は、その頃はルアー釣りを断念、渓流釣りやマブナ釣りの世界に戻っていたため、そのブームには参加しなかったが、それは凄いものだった。それまで1冊もなかったブラックバスの専門誌が次々に創刊され、最盛期には50誌を超えた。何故それほどまでにブラックバスがブームになったかと言えば、非常に簡単な話で、よく釣れたからである。しかも40cm級の良型になると、そのファイトは素晴らしく、瞬く間に若いアングラーを虜にした。

 

一方でフィッシュイーターであるブラックバスが増えることにより、タナゴやマブナ、ヘラブナといった在来魚種が「バスに食われて大幅に減った」という話が、あちらこちらで囁かれ出した。そして、その声は次第に大きくなり、遂には「害魚」として、釣れたそばから穴を掘って埋められた…なんて話も聞くようになった。

そして、最近になり、その声はさらに大きくなり、県によっては学校教育の中で、ブラックバス釣りを禁止する所まで出てきている。そうした声に比例してブラックバスも徐々に釣れなくなり、50数誌もあったブラックバス専門誌は現在、僅かに数誌を残すのみになってしまった。

 

断っておくが、小生、ブラックバスを必要以上に擁護するつもりは毛頭ない。しかし、世間(声の大きな一部の人たちが創り出した世論と言ったら怒る人がいるのだろうか)で言われているほどブラックバスは極悪非道な魚なのだろうか。詳しいデータ等は省くが、同じサンフィッシュ科の魚であるブルーギルやヤマメ(サクラマス)、ニジマス等のトラウト類の仕業までもがブラックバスに被せられ、必要以上に悪者にされている事実は意外と知れていない。「ブラックバス排除(駆除)」を唱えるなら、説得力あるデータを示すべきではないだろうか。外来魚は、ブラックバスばかりではないのだから…。

 

ブラックバスが「釣り界」にもたらした功績は計り知れない。ブラックバスのルアー釣りがブームになり始めた頃、東京をはじめとする大都市とその周辺では、子供達の釣り場であった池や小川が埋め立てられ、川の水は汚水そのもの。今では毎年のようにハゼ釣りが楽しめるようになった隅田川もその頃は「大腸菌も住めない」と言われ、電車に乗って鉄橋の上を通る度に悪臭に鼻を摘むほどだった。そんな時、少年達の要求を満たしてくれたのがブラックバスだった。

 

小生は、釣りは人類の考え出した最上の遊びだと思っている。死ぬまで釣りを楽しんでいたい。子供達にも釣りの楽しさを知ってもらいたい。これまで何度も「初めて釣りをする」という子供達と釣りに出掛けたが、「つまらなかった」という子供は全くと言っていいほどいない。大半の子供達が「面白かった」という。都市部だけではなく、環境悪化が続けば、やがて子供達が釣りをするチャンスすらなくなってしまうかも知れない。昭和50年代に訪れたその危機を救ってくれたのがブラックバスであったことは紛れもない事実である。

 

ブラックバスがフィッシュイーターなのは、彼等の責任ではなく、全国各地に分布したのも彼等の責任ではないのだ。今後は秩序ある管理をすることを前提に、ブラックバスをきちんとした釣りものとして認めていったらいいと思うのだが…。

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