

- 出発前夜 -
タイガーバームガーデンのページを作り終わり、丁度、手元に香港の資料(というほどのものではないが)があるので、ついでに香港旅行のことを思い出して書いてみることにする。
香港に行ったのは95年1月のこと。その頃、私はオーエルであった。
もっとも「オーエル」と思っていたのは勘違いだったフシもある。少し話がそれるのだが、私が勤めていた会社(仮に A 社としておく)は、私が入社したバブル末期あたりから、どうやら業績が悪かったらしく、95年にはメインバンクから「首切り要員」が派遣され、あからさまなリストラ・モードになっていた。そうこうするうちに私は会社をやめるのだが、そのさらに後、A 社は同業の、もうちょっと大きな会社・ B 社に吸収合併された。で、これは元 A 社の同僚に聞いた話なのだが、B 社の人々と一緒に働くことになった A 社の生き残り社員らが、新しい会社に行ってみて開口一番述べた感想が「おーっ、オーエルがいる!」だったそうな。A 社にも女子社員がいたというのに、である。ということは、A 社の女性社員はオーエルではなかったのだ。女性で会社勤めをしているからといって、オーエルの称号は自動的に付与されるわけではないらしい。そうだったのか。そうとも知らず私ときたら、制服を着て、お財布一つとハンカチ持って同僚とお昼食べに小走りしながら、「うーん、オーエルしてるなぁ!」などと、うっとりしていたのだから、脳天気なものである。
ま、それがわかったのは会社をやめてからのこと、当時の私は自分がオーエルであることを別に疑っていなかったのであり、香港に出かける前日も「ちきしょー、オーエルもしんどいぜ」と思いつつ残業をしていた。そう、私も一人前に残業などしていたのである。
その頃、私がいた部署というのは、本当にわけのわからない所であった。それは、リストラの一環でひとしきり部の再編成を行ったあと、営業以外の部に所属していた女性社員をよせ集めてできたような所で、一応それらしい部署名はついていたと思うのだが、たいして意味のない名称だったため、もはや覚えていない。男の社員は名目上の部長と、メインバンクからやって来たリストラ担当者の二名だけだった。そして、私を含めた女性社員数名は、今までの上司から突如切り離され、何が何だかわからない中で、部長とリストラ担当がいいつける事務作業、雑用などを行っていたのである。で、その日の夕方、「うっしゃ、明日は香港だ、帰ろう、帰ろう」と席を離れかけた私に、「リストラ担当」が「悪い、明日までにやっといて」といいつけた仕事が、各営業部の月間業績一覧を「ロータス 1.2.3.」で作成することであった。
なぜ、よりによって私かというと、部内でロータスを使えたのが私だけだったのだ。私以外の女性社員は皆、勤続年数も長く、少なくともそれまでは単なる事務以上の仕事をこなしていた、いわば総合職タイプの人々で、彼女らが今さら表計算ソフトの使い方を覚えるはずなどなかったのである。
そういえば、「リストラ」はロータスが大好きだった。それまで、こういう実績表はベテランの経理のジイさんが、ソロバンをはじいて手書きで作っていたのだが、それを、「リストラ」は、「今どき、こんなの手作業でやってっから、この会社は」とか言い出して、全部、ロータスで作らせるようになったのである。それは別に構わないけども、どうして、その表作りを経理でなく、私のところへ持って来るのだろう。実のところ、私のロータスの腕なんて、全然、大したものではなかった。自分が入力した計算式があっているのかどうかを、ジイさんの手書き原稿の計算を見てチェックしていたぐらいなのだから。
と、いうことで、皆が帰った後、一人でぶつくさ言いながら表を作り、紙に入るように印刷設定するのに一苦労し、「ふん、あとは知らねえ」と、すっかりガラが悪くなりながら「リストラ」の机にプリントアウトとフロッピーを置いたのは9時をまわったころだっただろうか。トロいのだからしかたない。
それから、私は、更に都内の別の場所に行かねばならなかった。今のぐうたらな自分からは考えられないが、当時の私には副業があったのだ。といっても、自宅でできる簡単な仕事ではあったが、面倒なことに週一回、所定の場所に行って出来上がった仕事を提出するとともに、そこから次の仕事を持ち帰らねばならず、そういうやりとりが、なぜか郵送で出来なかったのである。そして、よりによって、旅行前日がブツの提出日であった。電車に乗ってそこへ行って、出すモノ出して、もらうモノもらって、途中でどうしてもお腹がすいたので夕食を食べて、それから家に帰ってきたら12時を過ぎていた。軽くシャワーをあびて、それから荷造りである。私は荷造りが苦手なのだが、がんばって1時半頃になんとか終わらせた。
旅行当日の朝は早かった。成田エクスプレスの池袋発が5時58分。これだって、スカイライナーとかにしとけば、もっと遅い時間のを選べたかもしれないのに、私と旅の友 W は、浮かれて「よし、今回はちょっとリッチに、成田エクスプレスに乗るぞ!」ということにしてしまったのである。私は寝起きが悪く、身支度をととのえるのもやっぱりトロいため、4時半に起きることにした。大変である。しかし、「うー、3時間しか寝れない…」とブツクサ言いながらも、朝になって駅で W ちゃんに、「聞いてー、私、3時間しか寝てないんだよー。」などと自慢げに話している自分の姿が想像できてしまい、自然と薄ら笑いが浮かんでくるのであった。結局、旅行の前日は何があっても楽しいのだ。前の日が大変であればあるほど、出発日の解放感は増幅されるのだし。
(と、いうように、この年の香港旅行のことを思うと、残業の記憶につられて会社員時代のことがズルズルと懐かしく思い出されてしまうのですね。会社員だった時に行ったのは香港だけではないんだけども。すみません。次のページからは、ちゃんと香港の話になるはずなので、お許しを。)