ターレスは、自分にすら何一つ告げずに城を去ろうとする親友の背を、
辛うじて正門の前で呼び止めた。
「どうしても行くのか?」
ソークは、見咎められたことに小さく舌打ちをした。
苛立っているのは、決して後を追ってきたターレスにではない。
望んだように去ることすら出来ない自分に、だ。
ソークは、ターレスと目を合わさないように、背を向けたままで、低く応える。
「うむ」
「おまえは、確実に次の隊長になれるのだぞ」
ソークがそんなことに執着する男でないことは、よく分かっている。
が、何かを言わなければ、引き止めるきっかけも生まれない。
「・・・・いや、俺は隊長にはなれぬ」
「ばかな! 剣の腕で、おまえにかなう者はいない」
ソークの、自らをあざけるような声音を、ターレスは強く否定した。
だが、その言葉は、今のソークにとってはつらいものでしかない。
「俺の剣は、人を殺すためだけの剣だ。おまえの様に、人を導くことのできる剣ではない。
わかっているだろう?」
静かに告げるソークの流れは、確実にクリューヌ城の彼方へと向いている。
ターレスは、黙って首を振った。
それは、ソークの決断を否定するものではなく、
引き止められると思って追いかけてきた自分の勘違いに対してのものだった。
諦めの溜息をつき尋ねる。
「・・・・・・・・これからどうするつもりだ?」
「滅亡大陸にトール火山という山がある」
言いながら、ソークは思わず低く笑う。
いつか、こんな日が来ると分かっていた。
ただ踏ん切りがつかなかっただけで、気がつくと心の中にあった行き先。
一番柄にもない場所へ行く決心が、最も自分に相応しいはずの土地でつくとは、皮肉なものだ。
「そこにソロンという予言者がいるらしい。その人に教えを乞うつもりだ」
否、なるべくしてなったのだろう・・・。
この、身の奥に、永く獰猛な病を抱え込んでいる自分には、これしかないのだ・・・。
* * * *
体中の筋肉が、これ以上酷使されることを拒んでいた。
それを素直に聞き入れて、
”彼”
はゆっくりと腕を下ろす。
刀身の、深紅に染まった曲刀を手にする左腕を・・・。
今日は、雨なんか、降っただろうか?
砂漠化の進んでいる東大陸とは違って、西大陸は湿潤である。
時おり、空が思い出したように涙をこぼすことがあった。
しかし、このよどんだ空気である。
中途半端な雨は、いつまでもじくじくとした不快な湿度を継続させる。
雨が降ったわりには、じめじめしてないな。
雨天特有の、錆びの浮いた水の臭いもしない。
よく似ているが、全く違う臭いはするが・・・・。
ぼんやりとした意識のまま、
”彼”
は周囲を見回した。
見えるのは、たくさんの人。
否・・・人であった「物」。
多くは、もともと人として構成されていたパーツを、一つ二つ欠いている。
欠けたパーツは、持ち主であった「物」の傍らに、無造作に落ちていた。
鼻を突く、鉄分の臭い・・・・・・。
それは、
”彼”
の中に眠る、激しい何かを呼び起こそうとしている。
視界の端で、ぴくりと動くものがあった。
パーツを欠きながら、かろうじてまだ「人」であることを保っていた存在。
それを確認した
”彼”
は、ゆっくりと、それへ向かって歩き出した。
「ひ・・・・・や・・・・やめてくれっ! 俺が悪かった・・・!
頼む! 命だけは・・・・・っ!!!」
首と胴を別けられたそれは、ごとりと音を立てて「人」から「物」へと変わった。
「ソーク! 何をしている!!」
驚愕と憤怒の入り混じった怒声。
激しい怒りをぶつけられても、
”彼”
は無感動だった。わずかに視線を向けるだけ。
無味乾燥の世界。
「何だ、これは! 盗賊を取り締まれとは言ったが、
皆殺しにしろとは一言もいっていないぞ! 一体何をはきちがえている?!」
反応の乏しい部下に詰め寄ると、誇り高きクリューヌの兵隊長は、
荒々しくその胸倉をつかんだ。
「答えろ!」
”彼”
は煩わしげに、怒りをぶつけてくる上司を見る。
「・・・赤い・・・・」
「何?」
「血が・・・・・・・・」
隠すことなく不審げな視線を向けてくる相手に、
”彼”
はゆっくりと微笑んだ。
「お前も・・・・」
・・・・死ね・・・・
重く気怠い意識をムリヤリ押しのけ、ソークはこじ開けるようにして目を開いた。
白い天井が、網膜に映る。
鼻を突く薬品の臭いで、ソークは、今自分がいるのが城の医務室なのだと悟った。
いつ・・・戻ったのだったろうか?
ずっしりと重い頭を何とか持ち上げる。同時に身体を起こそうとすると、全身が一斉に悲鳴を上げた。
痛みを感じて、初めてソークは、自分が全身に創傷を負っていることに気付いた。
「う・・・ぐ・・・」
引き裂くような激痛に思わず呻きが漏れたが、構うことなく身体を起こす。
「起きたか?」
その呼びかけに顔を上げると、自分の寝ていたベッドの横に、
血の気のないターレスの顔がある。
ソークは思わず「どうかしたのか?」と訊きかけたが、やめる。
自分同様・・・いやそれ以上にひどく傷を負い、
真新しい白い包帯にうっすらと血を滲ませているターレスの姿を見れば分かる。
何があったのか・・・・否、何をしたのか。
無表情なソークの顔が引き攣るのを見て、ターレスは力無く笑った。
「心配するな。全て急所は外れている」
「ターレス・・・・、すまん・・・!」
ターレスは、困ったような表情で笑うだけにとどめた。
親友としては、この無骨で実直な男の、腹の底からの謝罪を受け止めてやりたい。
だが、クリューヌ兵隊長としては・・・。
無条件で許すには、あまりに多くの人間を手に掛けすぎた。
罪人とは言え、30を超える命が、このたった一人の男によって奪われた。
「・・・何故、あんな事をしたのだ?」
それが、ターレスが今言うことのできる、唯一の言葉だった。
ソークは、それに首を振って答えた。
「俺ではない・・・・・・」
「何?」
「あの盗賊達を斬ったのは、俺ではないのだ。
・・・・いや、確かに斬ったのは俺なのだが、『今の俺』ではない」
「どういうことだ?」
訝しげなターレスの顔を正面から見据えると、ソークは、上司の目の前に右の腕を示した。
黙って着衣をはだき、肩から二の腕までを晒す。
ターレスは、そこにあったものに、思わず瞠目していた。
かなり古いと分かる、刃物の痕。
引き攣った皮膚が、肩から肘の近くまで、縦に真っ直ぐ線をのばしていた。
同じ刃物を扱う者が見れば、その傷がどれほど深いものであったかは、容易に察しがついた。
恐らくソークの右腕は、ほとんど使い物にならないはずだ。
「これは、13の時の傷だ。もう、10年以上前のことになる」
「ソーク・・・、こんな事をきいても良いのか分からんが、その傷・・・、
魔物によるものには見えんのだが・・・」
「・・・あぁ、人にやられた」
「・・・やはり・・・・」
「だが、非があるのは俺だ」
己に『非』がある部分。そこにこそ、ソークが古傷を見せてまで伝えようとしたものがあるのだろう。
そう悟ったターレスは、黙ってソークが言葉を継ぐのを待った。
「これは・・・・罪科のある者の証だ。俺は、13の時、人を斬った。この世紀末だ。
人を殺すということが、何よりも重い禁忌であることくらい知っていた。
だが、気が付いたときには、もう斬った後だった」
「・・・・・・・・・何故、・・・・・・斬った?」
「俺と両親の留守中に、家に押し込んだ奴等がいたからだ。
俺達の帰りを妹が一人で待っていた家に・・・・・・な」
「よくある話だ・・・」そう呟くと、ソークは口を閉じた。
もともとあまり多弁な方ではない。これ以上は、話すこと自体が苦痛だった。
そして、過去を言葉にすることは、未だ彼の心に残る爪痕を自らえぐることになる。
不意に、無理に動いたときに開いた傷口から滲んだ、自分の血の臭いが嗅覚をよぎった。
ソークはそれに気付き慌てて己の気道を塞ぐ。
その様子を見とがめたターレスは、黙って窓を開け放った。
きな臭い汚染された大気の臭いが吹き込み、金属質な血液の臭いを飲み込んでいく。
「その時の後遺症か?」
「・・・・・・すまん」
項垂れると、ソークは重く言葉を繋いだ。
自らがソークにかけてやれる言葉は、ない。
ターレスは、ただ黙ってソークの古傷を見ていた。
上司のいなくなった医務室で、薄汚れた大気だけが自由に動き回っていた。
ソークは、長い思考の後、ゆっくりとベッドから降りる。
入り口近くに立てかけてある愛刀へ歩み寄った。
ターレスが意図して、手の届かぬところへ離しておいたのだろう。
それは、衝動に支配された為とは言え、人を殺めてしまった者への心遣いなどではない。
純粋に、己が危険視されたが故の行為だ。
前者であるのならば、あの男はこんなふうに、柄についた血糊を残しては行かない。
『人殺し』の烙印を押され、追放された北大陸で手に入れたこの刀は、
かつては自らの意志で人を襲う魔刀だった。
その姿は、どこか自分と重なるところがあった。
そう気がついた途端、無我夢中でこの魔物をねじ伏せていた。
あれから、11年・・・。
自らへの戒めの象徴であった魔刀の封印は、それを頑なに守っていたはずの自らの手で、
ついに破かれてしまった。
ここらが潮時かも知れんな・・・。
ここへ来てもう6年・・・。正直、よく今まで堪えたと思う。
静かに血で汚れた柄を握る。
凶暴な魂は、揺さぶられることはなかった。
大丈夫・・・・。
まだ、間に合う。
行くべき場所へ、行こう・・・。
−完−
作者コメント
「ソークが血の臭いでキレる」
「昔のソークは、『妹想いのお兄ちゃん』
」という設定を、かなり昔から考えてましたので、それで話を書いてみたんですが、
ちょっとやばくない?! ってのが、正直な気持ちです。
一応、気をつけましょうメッセージを付けてみましたが
(某家電メーカー開発ハード用ソフトのように・・)、
文字に影響を受けやすい方、多感な年齢の方は、ここで一つ深呼吸しておきましょう。
しかし、そろそろ人格を疑われそうですね。こんなダークなものばっかり書いてると・・・(汗)。
シオン関係の話ばっかり書いてるんで、たまにゃー他の章のキャラクターの話でも、
と思ったんですが、人選を誤ったようです。うむむ・・・(-_-;
ちなみに、タイトルの「13」はソークが人を斬ってしまった年齢をあらわしているだけで、
宗教的な意味合いは含んでおりません。気にされる方は少ないと思いますが、念のため。
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