顔の見えない街 ということ
 36年前に長崎に2年間暮らしたことのあるパリ在住の日本人画家、長尾淘太さんの個展が17日まで、長崎新聞文化ホールで開かれています。取材の際に話を聞きました。

 長尾さんは、海のある風景が好きだ、と言います。
 漢字で「海」には「母」の文字があります。フランス語でも海は"la mar(ラ・メール)"。母親は"me~re *(メール)"なので、こちらも母と関係している。 (*フランス語eの上に〜が乗る文字)
 海は生命の根源なのだ、と。



 自分が訪ねた36年前、長崎はエキゾティックで、海があり、絵になる街だった。
 しかし、今は海もなかなか見えず、港にもよく分からない建物が出来たりして『あの頃の風景』は壊れてしまった。
 今は駅を一歩出ると看板だらけ。夜空も見えない。建物は直線でばかり切り取られていて、残念ながらスケッチしたいとは思えない。
 今の長崎は、顔のない街だと思う。

 パリはいつもパリ。
 改築や修繕が許可なしにやれないなど窮屈な部分はあるが、そこまでやってこの景観を大切に、頑ななまでに守ろうとしている街。
 だから、いつ訪ねても、モンマルトルの風景は変わらない。

 海外で暮らすと、改めて自分の中の「日本」的なものに気付かされる。日本の美しいもの、素晴らしいものに改めて気付く。

 今の日本は環境破壊国。
 アメリカ産のグレープフルーツを一個買うために、安価な電卓を100台売る、と言うことをやってる。その代わりに、ザボンの木を一本植える事をした方がいい。
 本来渡り鳥である白鳥を飛べなくして池に住まわせている。
 本来住むはずのない鯉を川に泳がせ、綺麗だと眺めている。
 ホテルに泊まると窓が開かない。空調だけでコントロールされた部屋。潜水艦の中にいるようで落ちつかない。
 道という道を全てアスファルトで覆い、海岸線を次々にコンクリートで固める。
 干潟を閉め切る。昔は干潟の傍を歩くと磯の香りがしたが、今は死骸の匂いばかり。
 それらの無感覚さが嘆かわしい。

 日本人は黄色いバナナと喩えられる。肌は黄色だが、中は白。
 自らの持っていた大切なもの・文化を捨て、ヨーロッパ・アメリカ的なものばかりを取り入れようとしている。

 商売ができればいいという発想が貧相。
 自然のありのままの美しさ。シンプルな美しさ。長崎は恵まれている。
 美意識を高く持って欲しい。精神としての美しさに気付いて欲しい。