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漆黒の夜空を青く明るく照らす、真ん丸の月が見られた今年の仲秋の名月。
今日、ひとりの噺家がこの世を去った。
古今亭志ん朝師匠が亡くなった。
談志師匠が「これでもか」と熱く燃え続ける太陽だとすると、志ん朝師匠は、どこか、シャープさの中に気品を併せ持ち、明るく輝く満月のような噺家だったような気がする。
それが、私には感じることや、にじませることができない「粋」という芸なのかもしれない。
満月のような非の打ちどころのない芸風。
どの時代の落研にも、どの地方の落研にも、上方落語であれば、「米朝」「枝雀」、そして江戸前であれば「志ん朝」「談志」に惚れ込みコピーをする部員がいた、と思う。(かくいう私もその一人)
志ん朝師匠の噺には、「粋」「いなせさ」と言われるものが見え隠れして、東京出身でなく、さして育ちも良くない田舎ものの私には、とにかく輝いて見えた。
口調、言葉使い、イントネーション、息と間。全てがお手本のような気がした。
居残り佐平治、妾馬、明烏、愛宕山、火焔太鼓…カセットテープで何度聞いたことやら。
長崎での高座も、学生時代、何回か見た。
仕草、声、身震いするような格好良さを感じた。
あぁ、その志ん朝師の高座を、もう、生で見ることはできないのだ。
志ん生と同じ時代を生きることができなかったように、もうこれ以上、志ん朝と同じ時代を共有することできないのだ。
立川談志は言った。「あなた方は、志ん朝と同じ時代を生きることができて幸せなのだ」と。
63才、若過ぎる死。
落語界は余りにも大きな財産を失ってしまった。合掌。
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