BGMを考える ということ
 今朝方、FM放送を聞いていると、ゲストが久石 譲さんでした。
 私がこの方を知って、『いいなぁ…』と感じるようになったのは映画「風の谷のナウシカ」以来です。どの曲も「久石ワールド」で、匂いが強く、使用しにくくはありますが、嫌いな匂いでもなく、もちろん、ラジオやTV番組でもBGMとして久石さんの曲を使ったことも数多くあります。

 その久石さんが、映画音楽づくりのことを聞かれて、北野 猛氏の映画の激しい暴力シーンのBGMのことを例に挙げ、こうおっしゃってました。

 「映像をなぞる音楽ではなく、その心情を表現した音楽を作っている」

 つまり、映像だけの迫力や、映像のリズムをストレートに音楽にすれば、暴力シーンは「激しい音楽」になる。でも、私はそういう音楽を作るのではなく、例えば、登場人物が『自らの運命を呪って暴力を振るっている』のであれば、その心情を音楽で表現したい、と。
 ハリウッド映画と違い、日本人的なのだけれど、結局、激しい暴力シーンに、悲しいBGMを作ったのです、とおっしゃってました。
 同時に、北野作品は、音楽の入る余地を残した映像の組立てであったり、脚本なのだとか。音楽が重なって、一つの世界となるようにしているのだということです。(見たことないんで何とも言えませんが…)

 普段から、ニュースの編集などの時も、BGM選びに頭を悩ますことが多い私にとって、「なるほど」と思いました。
 分かっちゃいる様だけど、意外と、パッと見た映像のリズムに合わせて、BGMって選んでいるのかな、と再認識したのでした。