復元する ということ
 傷みの目立つ「国宝 大浦天主堂」が修復されるそうです。

 何世紀もの時代を超えてきた歴史的な建造物や歴史的な美術品があります。
 これらのものが長い年月の中で傷みが目立つ時、後世の子孫に残すための保存作業が行われます。
 さらに、修復・復元作業を伴う場合があります。

 修復・復元と言う作業は、果たしてどの時点に戻すべきなのでしょうか?
 また、長い年月の中で、「適当に傷んでいる」「古い(時代がついてる)」ことが価値の一つになっている場合、どうでしょう?
 原則、それは、作者の意図通り、造られた時点・描かれた時点に戻すべきなのでしょう。
 しかし、元通り復元したら、余りにも色鮮やかだったり、ピカピカだったりすると、どこか、うそ臭く感じてしまう経験は誰にでもあると思います。「こんなに新しいはずがない」と。
 
 さらに、出島のように、時代によって「内部の様子」が変化したような「遺跡・建物」などの場合、どの時代を復元すれば「復元」といえるのでしょうか。

 そんな中、ウルトラセブンのDVDを見ると、この辺りの悩みがでているのですね。

 ウルトラセブンが作られた当時(昭和40年代)のフィルムは大事に保存されてはいたものの、やはり傷みが激しく、そのままではノイズだらけで、「売り物」にはならない状態だったそうです。
 しかし、今のデジタル映像処理技術を使えば、フィルムを再処理して、「クリアー」なものにできるのです。

 ウルトラマンシリーズなど当時の特撮映像につきものなのが「ピアノ線」を使った合成です。
 今は、「コンピューター処理」によって、合成できるため、「ピアノ線」を使っても、線を背景の色に塗り替えることで、全く見えなくすることができます。ですから、映像に全くピアノ線は見えません。

 さ、そんな映像テクノロジーが発達した状況の中で、デジタル円谷のスタッフの皆さんは『古いウルトラセブンの映像』を、どう処理したのか?

 まず、傷みに伴うフィルムノイズは消してあります。では、ピアノ線はというと…?映像を見ると「残っています」。いや、正確に言うと「残してあります」。

 つまり、「ピアノ線込みの映像」が”作品の「テイスト」”というか、「個性のひとつ」なのだと言うことなのですね。それも、当時の純粋な再現と言うことを考えれば、「消せるモノ」を「意図的に消さない」。
 なんでも、クリアーでありさえすればいいという、ともすれば現在、陥りがちな「余計な処理」を施していないのです。

 これって、今の時代には大切なことだと思うんです。
 デジタルな世界とは「1か0か」。つまり、真っ白か、真黒か、という世界です。
 音や映像という表現世界では、「あいまいなもの」や「ノイジィなもの」の存在はとても大切で、大きな意味をもちます。
 (2000年6月のDiary 「バーチャルが本物?」参照)

 消せるからと言って、「ノイズはなんでも消しちゃえ」という風潮には、待ったというところですね。