この「ランタンフェスティバル」が始まったのは、1987年、実に14年前。
丁度、私が学生時代であった。その頃の様子を憶えている。
まだ、長崎市という行政が絡まず、新地中華街の華僑有志の皆さんと、JC(青年会議所)の協力で湊公園で細々と始められたと記憶している。
この頃は数えるほどのランタンと、多少の電飾を施した人形などが公園内に飾ってある程度で、お世辞にも感動できるものではなかった。
大きく雰囲気が変わったのが、94年。長崎市が本格的に取り組み始めた時からだ。
あえて、『長崎らしい』というところを言いたい。
『有志が企画し、自ら街を盛り上げようという動き』に拍手を送り、町全体の取り組みとなるまでに6年もかかったのだ。つまり、このような魅力的な観光資源に対して、バックアップも含め「行政」「市民」はなかなか重い腰が上がらなかった。様子見の期間がとにかく長かった。
神戸のルミナリエの取り組みと比較するとどうか。
95年に始まったルミナリエの主催は兵庫県・神戸市・同商工会議所など。あっという間に、全国的に認知された。スピードがまるで違う。
ま、あちらは、震災復興・慰霊の側面が強く、単純に比較はできないが、『一度行ってみたい』と思わせるには十分で、『復興』=『人が沢山やってくること』と捉えれば、十分に魅力的な取り組みであるといえる。
『やってやる』『やるとなったら町を上げて一気に全力でやる』。
神戸の方がはるかに『機を見るに敏』だし、徹底している。
長崎は、「とにかく腰が重い」。有志の取り組みに対して”勝手にしよっとやろ”。
で、成功すると、みんな一斉にそれに乗っかかる。”長崎の凄かイベントさ”。長崎人の変なプライドがちょこちょこ顔を出す、というところはないだろうか。
つまり、長崎では『芽を育む』『手を出す・打つ』という思考が今一つ。放っておいても、貿易船がやってきて「富」をもたらすもの、という『のんびりとした』『甘い幻影』を抱いているという気さえするのだが。
ランタンフェスティバルは年々成長し、大成功を納めている。
この大成功から、私たちは、観光都市として生き残るために、『上モノ(建物)』だけではなく、『街全体の個性化(回遊型観光)に対する取り組み』が今後も必要であるという事を学ぶべき。
従来の団体旅行対応型の『建物見物』だけでは旅人が納得しないのは、皆が気づいているはず。
そのためには、住んでいる人たちのアイデアや意識がますます重要になっていくと思うのです。
それが『"受けてる"から取り入れる』のではなく、『"受けるもの"を積極的に提案・発信する街』を目指す。長崎にはその材料はまだ眠っているはずですよ。
現状では長崎は「観光」で食っていくしかないのだもの。神戸に負けちゃダメですよ。
街中には多くのランタンと共に、中国語で”明けましておめでとう”を意味する『恭喜發財』の文字が踊っています。直訳は『(今年も)儲かりますように』という意味だそうです。
世界各地に華僑がいる中国人らしいあいさつですよね。
でも、長崎もホント、そう願いたいものです。
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