スポーツ取材 ということ
 今日は相変わらずの長文です。ごめんなさい。

 『取材はしてやっている』のではない。『させてもらっている』のだと言うことが分からないバカチンがいまだにいる。
 「我々は行ってやっているのだ」と言わんばかりに。アホか!と言いたい。そんな思いあがった感覚でスポーツの裏側の取材などできるものか。

 今回、国見高校が優勝を果たした。8年ぶりのことだ。優勝、準優勝と続いた国見黄金期、まだ、私の局は系列に縛られず、高校サッカーの中継を担当していた。
 しかし、その中継も他の系列局へと変わり、今や、私の局は、高校サッカーのTV中継は一切なくなった。社の方針として、高校サッカーは今後やらない、とも言われた。その最後の県選手権の中継を実況担当したのが私だった。
 
 優勝した年には、国立にもラジオレポーターとして行かせてもらった。入社2年目。その時、十分な働きなど出来なかったと多いに反省している。


 小嶺先生とは、入社した時から、向き合っている。(いや、正確には向き合っていた。)

 私の局では、高校サッカー担当のスポーツアナは代々代わっている。私が5代目。
 私の前の担当アナウンサーまでは、小嶺先生と「いい関係」を築いていた。私もサッカー担当を引き継ぐ際、この「いい関係」も引き継がなければと考えた。プレッシャーだった。
 しかし、私は先生と雑談は出来たけれど、正直、「確固たる関係」は築けなかった。豪快で酒が大好きな小嶺先生と腹を割って飲んだこともなければ、サッカー談義に花を咲かせたこともない。つまり、代々築いてきた「いい関係」を私が断ち切ってしまったのだ。
 私が若かった所為もあったかもしれない。
 私が担当になったとき、先生はすでに、全国優勝を経験した全国区の人で、敷居が高く、懐に飛びこむ勇気がなかった。サッカーを知らない私がバカな質問をしていいのか?自問自答した。苦く恥ずかしい思い出だが、これは本音だ。
 さらに系列のねじれや、Jリーグブームなど、サッカーを取り巻く長崎のいろんな状況がそこにあったのも事実だが、そこはまあいい。

 ただ、「いい関係」は築けなかったが、とにかく国見の県の公式試合は、とにかく見た。込み入った話が出来ない以上、見て憶えるしかなかったからだ。そこから、自分なりの監督の狙いであるとか戦術、選手のスキルを見るしかないと思ったからだ。
 国見まで、夕方、マイカーで出かけていき、選手の練習も見た。寒い中でグラウンドで待ちつづけ、結局、小嶺先生には十分な話も聞けず、「俺は何をしに通ってるんだろう」と、暗い気持ちで帰ってくることもしばしばだった。

 スポーツアナとして、監督や指導者に話を聞く作業はとても大切なことだ。チームの事が一番分かっているのは監督である事に間違いないのだから。中には、監督が言った事をそのまま実況で喋るアナウンサーだっている。
 私は数年間だったが小嶺先生と向き合ったことで、自分の目で見て、感じて取材することを勉強させてもらったと思っている。スポーツアナとして、「いい関係」を築くことがいかに大変か、大切かということも勉強させてもらったつもりだ。言い訳にしか聞こえないけど。加えて、先生の懐に飛び込めなかった自分を恐ろしく恨んでもいる。

 何が言いたいのか、ごちゃごちゃになってきた。整理しよう。

 つまり、スポーツの取材はそこに至るまでの過程が全てだと言う事なのだ。勝ったから取材しようなどというのは、大きな間違いなのだ。試合の結果を伝えるニュース程度なら別だが。
 それで踏みこんだ取材を求めるのはお門違いも甚だしい。相手に対しても失礼なのだ。「今頃来て、そんな事聞きやがって!」「どうせ、負けたら来んのだろう」と思われるのが関の山だ。
 つまり、スポーツでは、結果に応じた取材はやってはいけない。これは大原則だ。付き合うと決めたらちゃんと、腰を据えて付き合う。
 これは、サッカーに限ったことではない。駅伝でもそうだし、野球、ラグビーだってそうだ。本音で話をしていた指導者は、強くなっても、偉くなっても、その頃の付き合いをとても大事にしてくれる。

 それなのに、こちらは取材してやってる、と考え、さらに、「その時」ちょっと行って何とかなると考えている輩が多い。
 それは「取材してやってる」感覚なのだ。「取材だ」と言えば相手は口を開き、苦しかった思いや感動、さらには戦術、選手の特徴までマイクの前でペラペラ語ってくれると、どこか思っている。そんなに甘くはない。
 私は、一時期の小嶺先生は、そんな連中にうんざりしていたのではないかと思っている。

 国見は全国で優勝し、堂々の復活を遂げたが、我が社は負けたのである。

 いまだに忘れられない瞬間がある。
 我が社からサッカー中継がなくなり、国見を訪ねることも少なくなったある年、長崎市内で手を叩きながら「林田さん、林田さん」と呼ぶ声が聞こえた。見ると、通りを挟んで向こうに立っていたのは、小嶺先生だった。なかなか気軽に声を掛けることができなかった先生が、私の名前を呼んでくれた。感激した。
 「何してんの?」「先生こそどうしたんですか?こんなとこで?」
 交わした言葉はこの程度だったが、この時のことはいまだに脳裏に焼き付いていて忘れられない。この瞬間を思い出すたび、スポーツアナとしての苦い思いも蘇る。

 国立で優勝の瞬間に立ち会いたかった。国立のフィールドで「おめでとうございます。良かったですねぇ!」と声を掛けられれば…、そう思うと、歯がゆくてならない。