2000年5月10日
自分の携帯電話に『間違い電話がかかってきました。』
発信番号が表示されていて、局番が『027…』。今、調べたら群馬県でした。
最近、トンでもない所から間違い電話がかかってくる事ってありませんか?携帯電話では市内・市外をかけ分けることはありませんから、そんな事も起こるんでしょう。(今日かけてきたおばちゃんも、まさか、相手が長崎でとったなど想像だにしないことでしょう)
携帯での間違い電話って、特徴ありますよね。
『はい。』
『え?…』
『もしもし…』
『……(しばし沈黙)』
『もしもし』
『あっ…○×さん?』
『いいえ、違いますけど…』
『あっ…ごめんなさい、間違えました』 と言う具合に間違えた事に気付くまで時間がかかる。
皆さんもそうだと思いますが、(会社所有など複数名で管理するものを除いて)取っても、『はい』か『もしもし』しか言わないでしょ?自分の名前、言います?
『携帯電話』は”個人専用の電話”という性格上、取る人物が特定されてる。だから、取っても名乗らないし、かけるほうも、繋がった瞬間、その相手と話してる気分になるんですよね。
それ故、かけた方は、それが間違い電話だとは気付かず、一瞬、パニック状態になります。
沈黙の間――
『なんか、いつもと声が違うような気がする』
『○×さんじゃないのかな?もしかして。じゃ、この人誰?』
『でも、近くにあったのを誰かが取ったのかな?』 など、
”はい”や”もしもし”といった僅かな声の情報を頼りに、いろんな事を考えてると察しがつきます。
でも、変わったのは間違い電話だけではありません。
『携帯電話は人を遊牧民にした』って言葉を以前、新聞のコラムで読みました。携帯電話の普及は、『定住しないライフスタイル化を進めた』ということでした。(確かに、電話一本で、目的の相手がどこにいようとお構いなしに、捕まえて、すぐ隣で話してる状態にできる訳ですからね。)
最近、待ち合わせをする人が減ったそうです。理由は、お分かりでしょう。リアルタイムでどこにいても『相手の今』が確認できるからです。
”ケイタイ”が普及して恋愛の価値観も、随分変わったのかもしれません。
学生の頃、私の彼女はよく待ち合わせに遅れてきました。勿論、”ケイタイ”も”ポケットベル”も普及していなかった時代です。
彼女がやってこない間、実に様々な事を考えました――。
『渋滞に巻きこまれたんじゃ?』
『途中でなんかあったんじゃ?』
『約束の時間を間違えたんじゃ?』
『待ち合わせ…ここだよなー』
『周りの視線も気になるし、どっか行って時間潰そうかなー』
『でも、いない時に来て、自分がいないと彼女は困るだろうしなー』
『いつまでここに待とうかなー、あと5分待ってみるか…』
キョロキョロしながら、延々、そんな事をぐるぐる考えつつ、待ちぼうけしたものです。
勿論、”ケイタイ”のある今の方が、無駄に『待たず』『待たせず』に済むし、ずっと便利なのは分かってるんですよ。
でも、”待てる時間”が”自分の相手への想いの深さ”を確認するバロメーターだったような気もするんですよねー。
”30分、黙って待てた自分”が、”5分で怒るようになった自分”に気付いて、『やっぱり彼女への想いは冷めてしまったのか』なんて自覚したり…。
今は、どうなんでしょうね、”電話の回数”が一種のバロメーターなんでしょうか?
彼女がケイタイの番号を変えたことで、心変わりを知ったりとかする時代なのかもしれません。
きょうはちょっと長いお喋りでした。ここまでお付き合いくださってありがとうございます。