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頓珍漢人形って? どれ一つとして同じ物はありません。 『トンチンカン』の名の由来は、土人形が焼ける時の音とも、原水爆を生み出した人間の矛盾を現わしているとも言われています。 頓珍漢人形は、手ひねりで造られた土人形でおよそ30年前 民芸品として一体30円で長崎市内の土産品店で売られていました。 命を吹き込まれた頓珍漢人形は30万体とも言われ、その全てが異なる表情と形です。 |
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作者の久保田馨さんは原水爆や兵器が作られている限り人形を作り続けると宣言します。 「平和を信じて人形を作っていく、戦争を憎んで人形をおどけさせる。トンチンカンは平和な国をつくる槌音」と記します。 小さくてもろい土人形、しかしトンチンカン人形は久保田さんにとって一つ一つが平和を願う気持ちを託した祈念像でした。トンチンカン人形が『もう一つの平和祈念像』といわれる所以です。 身の丈わずか10センチ足らずの人形は苦しみ哀しみ怒り、人間の抱く感情の全てを表現しています。1つ1つが個性に溢れています。人間の不条理、矛盾、そして哀しさ、人形は独自の世界を主張します。 40年前みやげ物として売られていたトンチンカン人形はそれ故全国に散らばり今日、千体ほどしか確認されていません。 昭和37年には、ブラジルの詩人I・C・ヴィニョーレスからの絶賛を受け、「デザイン」誌上で紹介され、その名は全国に知れ渡りました。わざわざ、人形を買うために長崎を訪れる人もいたと言います。 「ざくろの空」で久保田さんの伝記を書いた渡辺千尋さんは、久保田さんについて「ある領域で天才に達した方」と言い、頓珍漢人形について「小さな人形が、ピカソやミロやジャコメッティ的な造形感覚の極致までいっている」と言います。 さらに、早過ぎる久保田さんの死について、「産み出した人形は全て違うもの。その一つ一つにエネルギーをつぎ込んだ。早すぎた死も当然だったのかもしれない」とも。 |
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| このHPの写真は頓珍漢人形設立準備委員会の使用許可を得て転載しました。 | ||||