特集エッセイ(第3回)

演奏会
その2

フレーベル少年合唱団 渡辺月彡子

 ご承知の通り、合唱団の1年には一定のサイクルがある。通常は春、学校の新学期に併せて団員募集を行い(年2回募集の場合は秋遅くにもう1度)、初期訓練のあと、各自の年齢・カなどを考慮の上適当なクラスに編入させる。今年も、春に入団した20名の新人さん達がこのところ少し馴染んで、一人前の顔をし出した。しかし、本当に一人前になる日は決して近くはなく、例年、入団生のほぼ半数が途中で「脱落」して行く。但し「脱落」とは当方の一方的な見方...、辞めて行く子供たちにそれぞれの理由あってのことは勿論である。が、継続が「カ」の大きな条件であることを、子供たちを通して改めて私は学んだ。
 今回はそんな「継続」と「カ」の関係を、まずはフレーベルという集団の視点に立って書いてみたい、例によって思いつくまま...。

無限と限界→集団の継続と指導力

 力ある集団の育成には優れた指導者の存在が必須、ことに子供集団には絶対条件となる。幸い当団は、創設以来素晴らしい先生方に恵まれた。当団40年の継綾は、ひとえに各年代を支えて下さった、この素晴らしい先生方の指導力の賜物と私は断言する。

 ところで昭和20年代後半から30年代、日本各地には児童合唱団が、それこそ雨後の竹の子の如く誕生した。
 どの分野においても集団結成時の指導者は大きなカリスマ性を持つという史実上の例に漏れず(裏返せば、カリスマ的先人の存在無しには初期集団の結成・継続は難しいという、これも史実が物語るところ)、各児童合唱団は創設期にそれぞれカリスマ的指導者を擁した。戦後の自由社会が、漸くこの時鰯、合唱界にも優れた指導者を差し向けたと云う事か。

 しかし残念なことにこのところ、各地で児童合唱団解散の話を多く聞く。勿論、最大の原因はいわゆる少子化、ついで、受験戦争。全員優等生を目指して子供たちの生活が1学校井塾」に規格化され、合唱練習などと云う地味な分野への時間配分が出来なくなってしまったのである。

 加えてもう一つの大きな原因がこの児童合唱団解散に、表面化し難いながら大間題として存在した。次期指導者へのバトンタッチの可否である。合唱団創設期の指導者が、各合唱団ともそれぞれに交代の時期を迎えた。そしてこの交代かなかなか難しかった。巨星の後を継ぐ新しい巨星を見つけ得ず、「発展的解散」と称して消えた例は決して少なくない。
 「本当の指導者がいない」。合唱集団は、限界の悲鳴をあげる。
 顧みて当団の場合、指導者の総承が大変上手く為されている。当団は、常に実力ある見事な指導者に恵まれた。

 今は亡き磯部先生に始まって現指導者の手島明子・手島英・川野名康夫・吉田慶子各先生に至るまで、都合4回の指導者交代ではあるが、その都度当団は優れた指導者を迎えている。 しかも各時代を担つて下さった先生方は、それこそ最大の愛情と尽力を当団に注いで下さった、どの先生も残らず...である。

 この歴代指導者の愛情とご尽力無くして、「フレーベル少年合唱団」という集団の継続はなかったと、私はこれも断言する。
 そしてこれから先の年月においても、優れた指導者の継続が、当団には無限に続くと私は信ずる、それが40年続く当団の珠玉の伝統であり、最大にして最高の誇りでもあるから...

 それぞれの集団が分野の如何に拘わらず、その継続に無限の可能性を信ずる事が出来るかどうか。

 各地で消える児童合唱団の風聞を聞きながら、私は隠されているかも知れないもう一つの理由を思い、改めて当団の継続を支えて下さった歴代指導者に、また、現在を力強く支えて下さる先生各位に、心からの感謝をするのだ...。

 そして演奏会は開かれる、先生方の深い愛情と並外れた、優れた指導力を、小さな身体に精一杯溜め込んで、平均年齢弱冠10才の少年達は今日もまた次なる演奏会に向かって邁進する。

 次回は、その子供たちの無限の可能性と力の限界について考えてみたい。

活動報告
*4-5月 第41期生団員募集
*6/13 映画アンパンマン「勇気の花がひらくとき」にレコーディング
*7/8 「青春の会創建15周年記念全国大会」(平河町マツヤサロン)
*7/26・7/27 「2001年元気の旅」 CD3曲レコーディング
*7/29 「凸版印刷(株)関係懇親会」(帝国ホテル)

上の予定が終ると少し夏休み
そして秋にはまた定演が....


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フレーベル少年合唱団OB会