フレーベル少年合唱団 渡辺月彡子 昨年未、OB幹事会から原稿の依頼を受けた。「現団員の日常や活動予定、OB会への要望・希望など何でもいいですから...」とのこと。この、「何でもいいですから...」が実は曲者、「なに食べたい?」、「何でもいい」でかえって困った経験はそれぞれ身に覚えがある筈。折しも合唱団生みの親・機部俶先生ご逝去で心に穴があいたような時期のことだった。 私の耳には今もあの懐かしい先生の声が聞こえる、少し鼻にかかるせいかどこか人なつこく、厳しい人格でありながらどこか甘ったれたあの声が......。磯部先生との出会いは私にとって、そのままフレーベルとの出会い、フレーベルでの日々、フレーベルとの闘いでもある。すでに随分長い年月が経過した。そこで、たまたま受けた原稿依頼の機会をお借りしてこの長い年月を私なりに振り返って見ようと思う、「何でもいい」というお言葉を盾に私が過ごした過去への総括として、時にOB各位にとっては少年時代を思い出す一端になってくれることを願いながら。 但し記憶は.年月の経過と共に自分に都合よく置き換えられがち、OB各位のそれと違っている場合は各位それぞれの記憶が一番、私の記憶は記憶違い,或いは視点を変えたそれと捕らえて頂きたく......。なおまた何分長い年月、この1号だけではとても書き切れまい。勝手ながら次号からは寄稿という形で掲載頂ければ幸甚、なにしろ20有余年という日々である。
磯部先生は私が出会った人の中で最も頭脳明晰・最も優れた資質の持主の一人、先生との出会いは私の人生にとって一番大切な宝物でもある。その明晰な頭脳が磯部俶固有の美しい音楽の世界を創り上げた。それは今も余人の追従を許さない。が、この明晰な頭脳は時として几人の理解を遥かに超え、ある時は我が侭・身勝手として物議をかもし出すことにもつながる。目前に追った演奏会を、「その日は別の会がある」と云い放った傲慢さを筆頭に、凡人の私には到底理解し難い難問奇問は枚挙にいとまない。しかし磯部先生の不思議さはその理解し難い筈の難問奇問を、何時の日か受け入れさせてしまうところにある。「しょうがない、先生のことだもの......」。泣きながら、苦笑しながら、結局は磯部流に巻き込まれてしまう、しかも、どこか暖かい心の結束というおまけまでつけて。 が、絶対に許せない、そして永久に消えることない先生への不満が、最後の最後に残ってしまった。 それはたかが80歳そこそこで逝ってしまったこと。磯部俶80年の享年は、100歳を約束していた私には、約束不履行・許せない最大の不満なのである。「 25年に及ぶ先生との日々の中で、この約束違反・これだけは絶対に許さない、永久に磯部俶への不満として持ち続けていく、あの耳に残る甘ったれた声と共に......。 かねがね先生ご自身から磯部家は元来長寿の一族、先生のご兄弟も皆さん 90歳どころか 100歳を超えてなお壮健と伺っていた。かつては5人のご兄弟の内、お二人も100歳を超えていらした筈。それからしたら先生、80そこそこで終りとは、あんまりじゃないですか。 まだ、20年は優にあると安心していたのに。 そりやー、世間一般から見ればネェ。 でもネ先生、先生は凡人じやあないんですよ、まだやることが沢山あったじゃないですか。だから私は先生との緞帳、まだ下げる準備出来てなかったのですよ。 しかし磯部俶は逝ってしまった大きな悲しみを、知る人の心に残して。あるいはこれは難問奇問の名手だった先生が、凡人には聞こえない最後のメッセージとして残したあの甘ったれた声だったのか、「僕は80までとしていたんだよ、君たちが準備不足だっただけだよ」。 凡人の私には聞こえなかった。だから、準備なんて全然しなかった。でも、だからといって、もうあの甘ったれの声にはだまされない。磯部俶への最大の、そして絶対許さない不満として永久に持ち続けていく、「先生、予定外のことはしないで下さい、100歳までの約束だったじやあないですか」。 「フレーベルでの日々」。私の駄文は磯部先生への心からの追悼として書き綴った。前述の通り、以後寄稿をお許し頂けるなら時の流れに従って、今日までの出来事や折々の思い出を綴ってみたい、懐かしいその昔の少年たちを思い浮かべながら......。 |
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| ・1/29(金) | 手島明子手島英 FIRST JOINT CONCERT IN '99 abc会館ホール/19:00開演/入場料\3,000 |
| ・2/18(木) | 静岡県人会出演/A組セレクト/上野精養軒 |
| ・3/26(木) | 世界出版人大会/A組セレクト/ホテルオオクラ |
| ・3月末〜 | 第41期生団員募集 |