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高田氏は「言葉」を極めて大切にする作曲家です。氏の作品では、音楽は、一語一語と密接に関連して進行していきます。また、楽譜のうしろには細かい「演奏上の注意」が載っていて、その半分以上は、その詩の内容と、どの言葉をどう発音・発声すれば自然にそして意味深く響くかに充てられています。そして特に高田作品を嫌がる人でない限り、誰もが聴いたり歌ったりするうちに、いつもその「こだわり」を納得せざるを得ません。と、いうのも、氏の作品がどれもとても「重い」詩を選んでいるからです。
今回の『野分』は、3曲とも井上靖の詩によっています。それも一般的な「行分け詩」ではなく、およそ作曲しにくいと思われる「散文詩」です。
処女詩集『北国』から『海辺』が第1曲です。海辺で見かけた中学生同士の喧嘩を通して、作者の感じたものは「遠い青春への嫉妬」でした。
第2曲『野分』も、同詩集のものです。人生の中で追い求めても過ぎ去っていくものへの哀しみ。高田氏は書いている「その野分の中に立ってみずからを耐えている。」
「死」そのものを具現するミイラに何かを語りかけようとして、発した言葉は「あぁ、私よ、私自身よ。」だった。『木乃伊』のこの詩は第2詩集『地中海』から採られたものです。
(斎藤 令)