陳  述  書

2006年4月9日
豊中市議会議員 一村和幸

 私は、1991年に豊中市議会議員に当選して以来、現在4期目を迎えております。議会では無所属です。私は、不正や腐敗は絶対に許さない姿勢で行政の問題点を追及してきました。また、何でも相談センターを開設し、労働、交通事故、離婚など、ありとあらゆる相談に取り組み、常に社会的弱者の視点に立って活動を続けてきています。相談される方の9割が女性であり、DVなど深刻な相談も多く、専門家の協力を得て解決してきました。豊中市に「とよなか男女共同参画推進センターすてっぷ」(以下すてっぷ)が誕生し、館長に三井マリ子さんを迎えて豊中の女性施策の活性化、発展を大いに期待し、これから共同作業の取り組みを考えようとしていました。ところが、2004年3月に三井マリ子さんが解雇される事件が起き、驚きました。今回の事件は、労働法に詳しい私から見れば、明らかに解雇権の濫用です。さらには、今まで積み上げてきた「すてっぷ」の活動を無にするに等しい事件だと思いました。私は、三井さんの提訴後、「訴状」や「準備書面」を読ませていただきました。読んで感じたのは、この問題は、現館長の桂容子さんが法廷で真実を証言すれば、早期に解決されるのではないか、ということでした。そこで事実を知るため、桂館長に面談を申し入れたところ、快く引き受けていただきました。お会いした桂館長は、「すてっぷ」の仕事に情熱を持ち、いっしょに取り組める方だと思いました。そして、桂館長が、そのお話をそのまま法廷で証言されれば、市がいかに嘘を言っているかが明らかになると思いました。ところが、桂館長が証人として認められていないことを耳にしましたので、桂館長が私に語ったことを、陳述書とすることにしました。私は桂館長に2005年11月1日、「すてっぷ」でお会いしました。桂館長が話された内容の主な点は以下の通りです。

一、面接(2004年2月22日)の前に私の館長就任はすでに決まっていたのかどうかについては、三井さんが「訴状」に書いている通りです。市から話があったとき、私はまず「三井さんは了解しているのですか」と本郷部長に聞きました。部長は「了解されている」と言いました。「三井さんは、事務局長に残ることは無いのでしょうか」とも聞きましたが、「三井さんは常勤は無理なのです」との答えでした。

一、当時の豊中市から要請を受けた時のことは、三井さんに引継ぎの時にも話しましたし、メールでも送っていますし、三井さんは、私の話をもとに準備書面を書いています。

一、(2月22日の)面接については、本郷部長から「形式的なもの」と言われました。三井さんが面接を受けていたことは、三井さんと引継ぎの話をしたときに、初めて知りました。ほんとにびっくりしました。

一、面接の前、私の自宅近くの喫茶店に本郷部長、武井課長、山本事務局長が来ました。ややこしそうになっているようでしたので、「豊中へ行くことを保留にします」と言いました。山本さんは「そんなぁ」と言いました。私は「三井さんが残りたいと言っているのに行く気はありません。押しのけて行く気はありません」と言いました。

一、山本さんから、「3月の理事会で紹介したいから出席するように」と電話がありました。そのとき山本さんは「三井さんは了解されました」と言いましたので、私は「それは良かった。それなら私が、行けます」と言いました。

一、しかし、すてっぷに行ったら、まだもめていました。三井さんは、評議員会で「私は不本意なまま去ります」と挨拶しました。理事会でも同じ挨拶がありました。三井さんと二人になった時、三井さんは何らかの事を起こすつもりだと言っていましたので、私も、出来る限り協力すると言いました。

一、去年(2004年)の夏の前、本郷さんに「三井さんはなんで辞めたのか」「三井さんが面接を受けたことを私に言わなかったのはなぜか」「面接試験で私が通らない可能性もあったのか」と聞きました。本郷さんは、「私が不合格のこともあると思っていた」と答えました。私は「それだったら、私が豊中市を訴える番でしたね」と言いました。

一、三井さんの裁判の、被告側の準備書面の打ち合わせには、最初、関わらないつもりでした。しかし、豊中市が「桂館長は、最初から自分もひょっとしたら選考に落ちるかもしれないと承知していた」という原告への反論を作っているのを知りました。私は怒り、採用前にあれだけ打ち合わせておきながら、なんてひどいことをすると思いました。それで弁護士の所に言って、「それ、嘘です。直してください。部長は、『あなたしか居ない』と言ってたのに」と言いました。その際、私が準備書面作成の打ち合わせに居合わせなかったら、話がどんなふうに作られていくかわからないと思いました。

一、三井さんの件は、今まで申し上げた通りです。三井さんに伝えたことが全てです。三井さんは、それで訴状を構成したのだと思います。

一、武井さんから「桂館長が、そういうことを言ったから訴訟が起きたのよ」と言われました。市は反省していなくて、自己を正当化するばかりです。

一、このポストは、荷が重すぎます。私が来てから、統合だの、移転だの、指定管理者制度だの、新しい人間すえて、何もわからない間に全部やっちゃえ、みたいなことだったのかなと思います。私は、男女共同参画の仕事がしたかったのですが、今はなんでやってるんだろうって思う毎日です。

一、三井さんは、誰かに嫌われたのかなと思います。私が何ですてっぷに呼ばれたのかわかりません。仕事をしてみてますますわからなくなっています。

以上が、私と桂館長が面談して話をした内容の概略です。これらのことを桂館長がはっきりと証言すれば、今回の三井さんの解雇がいかにいい加減で、市が嘘をついているかわかります。面談を通して、桂館長も、私と同じく曲がったことが嫌いで、信念の強い方だと思いました。ぜひ、裁判所で桂館長から直接、真実を聞いていただき、事実を明らかにしていただければと思います。