☆私の肺線維症の進行の度合い
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初診から5年間は総合病院に通院していた為、なかなか自分のレントゲン写真を
撮影することなど出来る機会がありませんでした。初診からずっと診てもらっている主治医が
開業されたのでそちらの個人病院に転院し、診察時間にもゆとりができようやく主治医にレントゲン写真を
撮影しても良いかどうかを尋ねてみることができ、快諾していただき携帯のカメラで撮影したものです。
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16年1月26日撮影 このときは肺の下部の線維化した部分がほとんど 写っていません。充分に息を吸えてないからだそうです。 |
16年11月6日撮影 先生もびっくり!!充分に息を数個とが出来て肺の下部まで 綺麗に写っていて線維化の部分がよくわかります。 肺の線維化の数値KL−6の数値が徐々に下がっていることが この写真にあらわれているようです。 |
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15年8月6日撮影 肺を横から撮影したものですが、上の写真と同じく 息がうまく吸い込めてなくて下部が写っていません。 |
15年8月6日撮影 息がきちんと吸い込めていて下部の線維化の部分が綺麗に 見えています。右側が背中になりますが、繊維化が一番 ひどい部分もよくわかると思います。 |
何年ものあいだ左側のような写真ばかり見ていたので今日撮ってみてびっくりしました。
肺の線維化の数値KL−6が去年から徐々に下がり10月の時点で691までになり
本当に咳き込みが減っていますが、ここまではっきりとその効果がレントゲン写真に
あらわれるとは思っていませんでした。
よく見るとかなり皮下脂肪が減っているのがわかります。(f^^)
人間の体ってこんなにも変化するものなのだとあらためて驚きました。
きちんと息が吸えるとこんな風に肺がきれいに撮れるなんて想像もしていませんでした。
ましてやいつもなら酸素をつけたまま撮影するのですが、今日は酸素をつけずに撮影したのです。
それなのにこれだけ息をきちんと吸い込むことが出来るなんて本当に嬉しいです。
強いて言えば看護婦さんが今までに比べてレントゲンの台を高めに上げていて首をかなり高く
あげたので気道が広がってたくさん吸い込むことができたのかもしれません。
実はこの頃に娘の妊娠がわかりとたんに諦めていたこの手に孫を抱くという夢が
現実になりそうだという思いが私を元気にさせたようです。
でもKL−6の数値が1000を切るようになったのはこの画像を撮る一年前ぐらいの2003年の9月ぐらいに
娘が子作り宣言をしたからなのです。それまではどちらかと言うともう娘は結婚したし私の肩の荷が下りて
あとは限られた日々を後悔しないように過ごそうと思っていてあまり余命に執着していなかったのですが
孫を抱くことなんて諦めていたのがそれが現実になるとわかったとたんに生きたいと思うように
なったのです。病は気からという言葉どおり私の体は確実に変化していったのです。
詳しい数値の変化は血液検査の結果のページを見ていただいたらよくわかると思いますが、
それまでKL−6が1500前後をうろうろしていたのに徐々に下がり始めこのレントゲン写真の示すとおり
2004年の1月に撮ったときはあまり息が吸えてなかったのに11月に撮ったときはかなり吸い込める状態に
改善されていてKL−6も1000を切るようになったのです。
こんな感じで肺の方は落ち着いてきたのに今度は膠原病の症状である逆流性食道炎が
悪化し食道も拡張してしまったので普通の食事が出来なくなっていったのです。
この膠原病の症状についてはまた別のページで詳しく説明したいと思います。
それまでにすでに嚥下が難しくなっていたので体重もだんだん減ってきていたのですが
この時点で53キロぐらいにまでになっていました。
○2006年になって
2005年の10月ぐらいから2006年2月初めぐらいまで在宅酸素療法をしなくても過ごせるようになりました。
酸素のチューブがないと家事もスムーズに行えるしバスの乗り降りも楽に出来るので
外出するのも楽しみになり娘の家に行く回数もかなり増えて可愛い孫の顔を見る機会が増えて
今までの私の闘病生活の中で一番幸せな時間を過ごすことができました。
しかし2月後半になり微熱がずっと続くようになりからだのしんどさを覚えるようになりました。
主治医にも話をしたのですが、膠原病の症状でしょうという話になり様子見をしていました。
その時にレントゲンを撮っていれば感染症も深刻な状況にならず入院しなくて
済んだかもしれませんが、これは結果論であって今更悔やんでも仕方ないことだと思っています。
そして2006年3月18日の診察のときにレントゲン写真を撮り、採血をしてCRTと
調べたところ、CRTが10を超えており肺炎になっていると診断され
強い抗生物質を処方してもらい様子をみることにしました。そんな状態でしたが
翌日が私の誕生日だというのに主人が卓球の試合に出かけてしまうので前々からその日は
映画を見る約束をしていたので病院が終わった後見に行ったのです。
そのときは微熱だったので映画もきちんと見れてそれほどしんどいとは思いませんでしたが
帰宅してから夜熱が38度を超え座薬を使いました。
翌日は熱も下がらずかなりしんどい思いをしたので週明けの月曜日に
病院にタクシーで自分で行きました。先生もすごく不安になったようで
再度レントゲンを撮ってみると右肺の下の方に水が溜まっていたのです。
急遽ステロイドを点滴で入れることになりました。
先生から今日県立病院に入院するか、翌日が祭日なので
明後日まで様子を見て受診するかのどちらかを選択するように言われ
私自身もそれほどの深刻な状況だと思っていなかったので水曜日にまた受診することに
しました。翌日はステロイドの点滴のおかげで熱もあまり出ず楽に過ごせましたが、
結局水曜日に受診してみると紹介状をすぐに書くので県立病院にすぐに行くように言われました。
そして結局受診してそのまま入院ということになりました。
入院前の詳しい様子は下の日記を読んでください。
2006年3月の日記
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| 3月22日に入院したときに撮った画像です。 携帯のカメラで撮ったのでピンボケしてます。 足の方から見ているので左側が右肺になります。 右肺の真ん中にある大きなブラに水が溜まって 感染症を起こしていたので入院することになったのです。 その他にも大きなブラが左右にあります。 主治医が開業して個人病院になってから3年あまり CTを撮ってなかったのでここまでブラが たくさん出来ているとはまったく知りませんでした。 多分主治医はレントゲン写真でブラがあることは 知っていたと思いますが私には言ってくれませんでした。 多分私が神経質になると思ったからでしょう。 |
4月13日に撮った画像です。 だいたい同じ位置の画像だと入院先の主治医が 言ってくれました。見た目的にはあまり変化がありません。 しかしこの2枚のCT画像を見せてもらったのは 5月10日に気胸になりドレーンを入れて様子を見ながら 癒着療法を2回行ったにもかかわらずほとんど肺が 膨らまなかったので3回目の癒着療法を行うことになり そのインフォームドコンセントをしてくれたときなのです。 この画像を見て主人と二人してすごくショックを受けたことは 言うまでもありませんでした。 線維化がかなり進んでいてブラがこんなにたくさん あったのでは気胸になって当たり前だと納得したのです。 ブラは線維化した部分がだんだんくっついて空洞化し それが一つの大きなのう胞になりブラと呼ばれるように なるようです。 |