少し日が陰ってきたのだろうか。さすがに上着もないので肌寒い。
弥勒は珊瑚を後ろから抱えるようにして蔵の隅に座っていた。
珊瑚は弥勒の腕の中で先ほどから無言のまま、そしてその胸には母のものだという箱が
抱かれている。
それは少しずつ彼女に染み込んでゆくようだった。
背中の温かな温もり───
言葉はなくても弥勒の想いが伝わってくる。
暫くして珊瑚がようやく口を開いた。
「・・・・お母さん、あたしが10のときに病気で亡くなったの・・・
いつも綺麗で優しくてそれでいて芯が強くて・・・あたしお父さんにいつもお前は
母さんにそっくりだって言われる。綺麗でも優しくもないけど、確かに気の強さだけは
しっかり譲り受けてるね」
その言葉を聞いて弥勒が思わず苦笑する。
いつものことだがこの恋人は自分のことを一番わかっていない、と思う。
そしてそれは本人の自覚がないから余計性質が悪い。
そのおかげでどれほどこの俺が振り回されているのかなど・・・
知る由もないのだから。
「・・・・素敵な女性だったんだな」
「うん・・・だから亡くなった時のお父さんのショックも大きくて
それこそ思い出すのがつらいから・・・って遺品もほとんど処分したの。
だからあたし形見らしい物持ってなかった」
箱の中から手巻きのオルゴールを取り出すとその小さなハンドルをくるくると回してみる。
キコキコ音を立てながらそれは綺麗なメロディを短いながらも奏でてくれた。
「シューマンのトロイメライ・・・・か」
「・・・驚いた、よく知ってるじゃない。」
「・・・・このくらいは常識です」
弥勒の意外な一面に驚きながら珊瑚は続けた。
そういいながらビロードの小箱を開けると、そこにはあまり大きくはないが真っ赤な珊瑚の
指輪が入っていた。指輪の珊瑚の両脇には真珠と小さなダイヤが飾られている。何年も仕舞い込まれていたようには見えない。
目の前の生きた珊瑚と同じくそれも美しく輝きを放っているようだった。
「よかった・・・これで揃う・・・」
「・・・・・・?何が??」
ほっとしたような珊瑚の言葉に弥勒が尋ねた。
「なっ!・・なにも・・・」
「そんな顔したら何もない訳ないでしょうが。そうですねぇ・・・
煙草を止めた理由と交換で教えてもらいましょうか」
「いいよ。別に知りたくない」
あくまでも話さないつもりらしい。
「・・・そんなつれないことを言うとどうなるか・・・わかってるだろう?」
しまった・・・!と珊瑚が思ったときにはすでに遅し。
すでに己の体は弥勒にしっかりと抱きすくめられていて逃れることが出来ない。
「わっ・・わかったから!言う!言うから・・ね」
真っ赤に染めた頬をなんとか弥勒から遠ざけながら珊瑚が降参する。
これ以上抵抗すると確実に己に不利な展開になることは必至なのだから。
「なんだもう降参ですか。残念」
「・・・・・・・あたしで遊ばないでくれる?」
あくまでも楽しそうな弥勒をじろりと睨んでやると、珊瑚は小さく溜息をもらして諦めたように口を開いた。
「サムシングフォーって・・・知ってる?」
「なんですか?それ」
さすがの弥勒もこれまでは知らないらしい。
なんだかほっとしながら珊瑚は説明してやる。
「イギリスの古い詩が由来なの。結婚式の当日花嫁が身につけると幸せになれるという4つのサムシング(何か)のひとつにサムシングオールドっていうのがあってね」
珊瑚が母の形見である指輪を手に取ると、その手のひらに優しく包み込んで微笑んだ。
・・・綺麗だ・・・・
どこまでも清廉なその笑みに見惚れる。
実に不思議な娘だと弥勒は思う。
いつもは年相応なのだが、時折ふと不覚にもどきっとさせる女の顔を見せる。
かと思うと邪な想いなど到底入り込めないようなこの・・・微笑。
「花嫁と家族の繋がりを表していて、大抵母親から娘に自分の指輪を譲り渡すのが多いらしいの。だからあたしには4つのうちこれだけは絶対手に入らないものだと・・・・諦めてた」
弥勒が見つめていることにも気付かない。 珊瑚は愛しそうに指輪を箱に戻した。
そして今度は黄ばんだ封筒から一枚の便箋を取り出す。
そこには流麗な文字で綴られた愛しい娘への母の想い───
黙って読んでいる珊瑚の肩が微かに震えていた。
その細い肩を弥勒は尚も一層の力を込めて抱きしめてやる。
その暖かな温もりに珊瑚もようやく落ち着いたらしく、俯いていた面を上げて手の甲で零れた涙を拭った。
「・・・・・落ち着いたか?」
「ごめん・・・・・先生ありがと・・」
「泣きたければいつでも泣けばいい。ただし・・・・」
珊瑚の体をこちらに向かせ己の指で涙をすくい取りながら弥勒は優しく微笑んだ。
「お前が泣くのはどんなときもここで、だ」
その細い体を自分の胸の中に引き寄せてすっぽりと包み込む弥勒。
泣いてもいい
嬉しい涙も悲しい涙もここでなら俺が全部受け止める
だから一人で泣かないでくれ
お前の涙を知らない男にはなりたくはないから
お前の居場所はここにある
そしてまたそこが俺の居場所でもあるのだから───
珊瑚の涙で潤んだ瞳が弥勒を見つめていた。
焦がれて止まないその瞳に引き寄せられるようにお互いの唇が重なり合うその瞬間。
「姉さん!!!ここにいたの!!」
ギィィーーという扉の開く音とともに弟の琥珀の嬉しそうな第一声が響き渡った。
「こっ?!琥珀っ!どっ・・どうしてここに?!」
「どうしてって・・・買い物から帰ってきても誰もいないし、台所は途中だったから探してたんだ。そうしたら蔵の前で雲母が鳴いていたから・・・」
そういいながら琥珀が足元の雲母を抱き上げる。
「そうか・・雲母が教えてくれたのね。ありがとう」
真っ白なふかふかの毛並みをなでてやると、雲母は嬉しそうに小さくミィ、と鳴いた。
「もう夕飯の時間なんだけど・・・」
「きゃっ?!ごめん〜〜すぐに支度するね」
「・・・・弥勒先生??なにしてるの?」
珊瑚の脇からその無垢な笑顔で覗き込む琥珀。
そこには突き飛ばされて半分転がったままの弥勒がふてくされていた。
「琥珀、雲母と一緒に先にいってて。鍋とったらすぐいくから」
「ご、ごめんなさい!大丈夫?」
「・・・・・・大丈夫じゃない・・」
「え?!どこか打っ・・・ん!・・」
反対に座り込んだ珊瑚ににこやかな笑顔を向けた後、扉に近づくと、ふ、と振り向いた。
「これでわかったでしょう?何故私が煙草をやめたか」
「・・・・・わかんないよ、そんなこと」
頬をそめて拗ねたように珊瑚がぽそりと呟く。
「お前ねぇ・・・もう一度してほしいのか?」
「珊瑚に煙草の移り香がついても困るが、なによりキスが苦いのは・・・嫌でしょう?」
さらりととんでもないことを言い放つと扉の向こうへとその姿を消していく。
その後姿をぼうっと眺めながら珊瑚は溜息をついた。
「・・・・・黒豆味のキスもどうかと思うけど」
苦笑しながら鍋と大事な箱を抱えて珊瑚は弥勒の後を追うべく蔵を後にした。
私の可愛い娘へ────
これを読むときはどんな素敵な娘になっているでしょうか
残念ながら母はあなたのその姿を見ることはできません
でも目を閉じるといつでも成長したあなたが見えます
優しいあなたは誰からも愛されていることでしょうね
もう愛する素敵な人を見つけたかしら
いつかあなたも誰かを愛し愛されることでしょう
共に生きたいと思う大切な人に出会うでしょう
幸せになりなさい、珊瑚
私も短い間でしたがとても幸せでした
私がいなくなってもその想いはあなたの中にあります
愛はずっと続いてゆくのですから・・・
蔵の外で珊瑚を待っていた弥勒がその手から鍋をひょい、と取り上げると己の手をしっかりと繋いで歩き出す。
二人仲良く母屋に向かいながら、弥勒が珊瑚に囁いた。
「4つの何かがなくとも幸せにしてみせるから・・・」
「・・・・・・うん・・・・」
幸せそうに珊瑚が微笑む。
もう一度その唇に触れるだけの口付けを落とし、お互いの暖かな手のひらを確かめ合うように握り合った。
お母さん、見えますか?
あたしは幸せです
あなたの思い描く娘になれたでしょうか
お母さんがくれた想い
あたしもこの人と共に伝えてゆきます
いつか会えるあなたの愛を受け継いだ
あたし達二人の愛しい子供に・・・・・・
珊瑚の母が願ったそれは確実に今ここにある
いつの時代も同じ深い母の想い
それは幸せな娘の未来予想図───
完
後書き
これは日記でも書きましたが、合同誌用の没ネタです。ようやく日の目をみることが
出来ました。なんかネタ的にこれは結婚前夜のようだ、と思いながら書いてました(笑)
いや、実は先生と珊瑚の結婚前夜の話は是非書いてみたいのですよ。でもここで
このネタもってきて後どうしましょー?珊瑚はもう子作り宣言(?)までしてますし(苦笑)
この先この二人の清い関係がどうなるのか?!乞うご期待!(笑)
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