清友園幼稚園・教育会館
(近江兄弟社学園ハイド記念館・教育会館)
国登録有形文化財

■竣  工 1931(昭和6)年
■設  計 W.M.ヴォーリズ
■構  造 木造2階建・瓦葺き(ハイド記念館)
       木造平屋(1部2階建て)・瓦葺き(教育会館)
■所在地 滋賀県近江八幡市市井町177



 近江兄弟社学園の前身は、ヴォーリズ夫人である一柳満喜子さんが1920(大正9)年に、滋賀県蒲生郡八幡町字池田町の民家を借りて開いていた「プレイグラウンド」が始まりです。
 「プレイグラウンド」とは、今でいう保育園とか幼稚園のようなもので、幼児が遊んだり学んだりする場所だったようです。
 1922(大正11)年には、滋賀県の認可を受け、「清友園幼稚園」となっています。
 清友園幼稚園が現在、近江兄弟社学園がある場所に移転しました。
 現在のような、小学校・中学校・高等学校と出来たのは戦後になってからのことです。
 移転の際、ヴォーリズによって立派な園舎が設計されましたが建設費用を寄附をしてくれたのは、メンソレータムの創業者アルバート・アレキサンダー・ハイド氏の夫人でした。
 そのため、幼稚園舎は「ハイド記念館」と呼ばれています。
 教育会館のほうは、主に講堂兼体育館として使用されています。
 どちらも、木造で赤い瓦をを葺いていて、壁はスタッコ仕上げでとてもかわいらしい印象です。
 私はヴォーリズの数ある建築作品の中で、特に学校建築が大好きです。
 学校に行きたくなるような、子供がわくわくするような、そんな魅力がヴォーリズ設計の校舎の共通点だと思います。


近江兄弟社学園
写真右手がハイド記念館(幼稚園舎)で左が教育会館体育館兼講堂)。
中央に見える胸像は、一柳満喜子さん。
教育会館のT字型の窓がアクセントになっている。


教育会館・舞台ヴォーリズ書き初め
教育会館(体育館兼講堂)にある舞台。
舞台左手には、ヴォーリズが書いた「祈りつつ・前進」の文字が飾られている。
舞台横の文字のアップ。
米国から来て近江八幡に留まった
ヴォーリズはまさに、「米来留」。


体育館兼講堂ベイウィンドウ
舞台をから見た体育館兼講堂。
T字型の窓から光がいっぱい入り、明るい空間が広がる。
教育会館裏手2階のベイウィンドウ
ここから部活動で賑わうグラウンドが見える。


ハイド記念館(幼稚園舎)
ハイド記念館ファサード。
松に隠れたところが入口。



ハイド記念館・階段
ハイド記念館・暖炉
ハイド記念館正面限界突き当たりの階段。
ハイド記念館内の暖炉。
遊戯室内にあり、周囲には子供達のおもちゃがたくさんあった。
沢山の子供達の笑顔や波画を見てきた暖炉には、ちょっぴり哀愁があった。






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