例えばブッシュなら「我々の側につくのか、それともテロリストの側につくのか」と迫るけれども、選択肢が二つしかない問いなんていかにも貧弱だ。政治とは原理的に貧弱なものなのか、あるいは私たちは貧弱な政治に囲まれているのか。<9・11>以降、世は押し並べて二者択一を強迫する傾向にある。そんな気がしてならない。
もし芸術に一握の使命があるとするならば、そうした「あれかこれか」、「Yes or No」といった応答の様式以外に、多彩で豊富な選択肢を提示することかも知れない。その意味において、芸術は政治と対峙し得るし、また単純な政治的言説の枠組みから逃れることができる。そう信じたいものである。
現在、舞台芸術の領域でも<9・11>にいかにレスポンス(応答)したかが、一つの価値基軸をなしている。徒に危機意識を煽るのもいかがなものかと思うが、確かにそれだけのインパクトがあったのだ、<9・11>には。そして続くテロリズムの横行と戦時体制への移行。僕は戦争にリアリティを覚え始めている。
「蒼ざめた馬」は、大正時代を舞台にした革命家の群像劇ではあるが、現在の情況を照射しようと目論まれている。つまり二者択一的世界観の末路だ。あの時代は世界大戦という悲劇を迎えたが、果たして人類の学習能力はいかばかりか。
僕は誰の側にもつきたくない。
「蒼ざめた馬」公演企画書より (文責 小里 清)
|