「バー」と「カー」と「アクト」


通常,日本語では,「バー」が魂,「カー」が聖霊,「アクト」が肉体と訳されて事が多い。

あの世に行くのが「バー:魂」で,この世に残るのが「カー:聖霊」。
人間が死ぬと,「バー:魂」は「カー:聖霊」から離れて、あの世に行ってしまう。
もし「アクト:肉体」も完璧に滅びてしまえば,存在の本質である「カー:聖霊」だけが、この世に残ることとなる。
「カー:聖霊」の収まるところが無くなってしまうのである。

これは、たとえば出勤したサラリーマン(カー:聖霊)が定期券(バー:魂)をもって、帰るべき家(アクト:肉体)がなくなってしまって
うろうろしているようなものといえる。その状態は,「カー:聖霊」にとっては,不安でたまらない。
そこで、帰るべき家(アクト:肉体)が滅びてもサラリーマン(カー:聖霊)の落ち着くところが必要になるので,
生前の帰るべき家(アクト:肉体)にかわる第二の家(アクト:肉体)を用意した。
それがミイラであり,石の彫刻である。

第二の「アクト:肉体」に収まったのはいいが,それだけではやはり不安である。
食物や日常生活品はどうなるのか?

ここでわすれてはならないのは、人間ばかりではなく,それらの物もやはり、本質は「カー聖霊」で
有るという事。

食器を例にとれば,食器の「カー:聖霊」がまず有り,そこに食器の形がくっついていると考える。
したがって第二の「アクト:肉体」のそばに食器を置いておけば,死者の「カー:聖霊」は,
食器の「カー:聖霊」を使い,食物の「カー:聖霊」を食べる事ができるのである。

このように考えて行けば、なぜ古代エジプト人が,あれほど丹念にミイラをつくり,膨大な品々を
副葬したかが納得でるのでないのだろうか。